潔斎けっさい)” の例文
旧字:潔齋
「いうな、たれが億劫おっくうだといった。ただ不便と感じただけのこと。よしよし、あす一日潔斎けっさいして、われ一人、天師の仙家へまかるであろう」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
精進しょうじん潔斎けっさいなどは随分心の堅まり候ものにてよろしき事とぞんじ候に付き、拙者も二月二十五日より三月晦日みそかまで少々志の候えば酒肴しゅこうども一向べ申さず
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
わが子わがおっとの安否を気づかうのあまり、ふたたび昔の本式の潔斎けっさいをしている者は、近いころは非常に多くなっていたようであるが、土地の住民が集まってきて
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「いえ、人に見せぬと申す訳ではありませぬが」と当惑とうわくそうにオドオドして、実はその品物を取り出す前には、七日の間潔斎けっさいせよと云う先祖からの云い伝えがある
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「世の荒波に揉まれ揉まれて、立派な人間になっておくれ。……わたしも、わたしも、一人で寂しく、でも清浄潔斎けっさいして、やはりお前たちに負けないような、立派な人間になるからねえ」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
自ら火に投じたことだけは確かだが、最後の一月ひとつきほどの間、絶望の余り、言語に絶した淫蕩いんとうの生活を送ったというものもあれば、毎日ひたすら潔斎けっさいしてシャマシュ神にいのり続けたというものもある。
文字禍 (新字新仮名) / 中島敦(著)
やむなく老母と夫人は、愛児のため、良人のため、自身が代って修法の室に籠り、七日のあいだ潔斎けっさいしていのりを修めていた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神職は潔斎けっさい衣冠いかんして、御炊上おたきあげと称して小豆飯あずきめし三升を炊き酒一升を添え、その者を案内として山に入り求むるに、必ず十坪ばかりの地の一本の枯草もなく掃き清めたかと思う場所がある。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
と、き立て、やがてその恵瓊が来るまでの間にと、風呂所にはいって、水を浴び、清衣に着かえ、潔斎けっさいして待っていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
官兵衛孝高がその地の惣社大明神そうしゃだいみょうじんに七日間のみそぎをとって、神前に新しい旗幟きしをたてならべ、神酒みきをささげ、のりとを奉じ、家士一統、潔斎けっさいして
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、供奉の公卿たちも、ここでは山上の潔斎けっさいも解かれて、俗称“もみじ寺”の今を盛りなもみじの間を逍遥しょうようしあった。
張角は、門を閉ざし、道衣どういを着て、潔斎けっさいをし、常に南華老仙の書を帯びて、昼夜行いすましていたが、或る年悪疫あくえきが流行して、村にも毎日おびただしい死人が出たので
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
心身を潔斎けっさいしてゆくことは、常例であるが、上杉謙信は、神式にのっとって神をまつりし、武田信玄は、その出陣となるや、かならずこの烈石山雲峰寺に祈願をこめて進発した。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)