湯治場とうじば)” の例文
「えい、そうそうごく近所にありました。しかし私共の近所には、湯治場とうじばがあるので、よく田舎者共が宿をとります」
娘が一人で湯治場とうじばへ来るなんて、そんなことができる筈はないじゃないか、ばかな空想をするな、と彼は思った。
女は同じ物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
八月の末に、師団長は湯治場とうじばから帰られた。暑中休暇も残少なになった。二十九日には、土地のものが皆地蔵様へまいるというので、石田も寺町へ往って見た。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
それに滞在の日数を加えると、どうしても半月以上に達するのであるから、金と暇とのある人びとでなければ、湯治場とうじばめぐりなどは容易に出来るものではなかった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「あなたも湯治場とうじばへいらっしゃるんでしょう。どうもおおかたそうだろうと思いましたよ、先刻から」
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
隣家は『大清だいせい』というこのごろ売りだしの大きな湯治場とうじば料理屋だが、この日はさいわいに風のない晩だったのと水の手が早かったのとで、塀を焼いただけで助かったが
顎十郎捕物帳:18 永代経 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
都会地の温泉とちがって、こういう山奥の湯治場とうじばは、お湯だけが楽しみのお客だから、入浴しないと損みたいに、殆ど一日ゴチャゴチャ湯ブネで暮しているようなものなのである。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
ふた月も病人を装って辛抱していたこの有馬の湯治場とうじばから、世間の陽あたりへ歩き出せば、すぐにあしのつくというくらいな寸法は、なにも、気がつかずに立った治郎吉じろきちではなかった。
治郎吉格子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わしも今日は、こうして一人で留守番だが、湯治場とうじばの橋一つ越したこっちは、この通り、ひっそりかんで、人通りのないくらい、修善寺は大した人出だ。親仁はこれからが稼ぎ時ではないのかい。
山吹 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そこはかし湯治場とうじばであったのです。わたしひとりすわって、このものすごいしつうちまわしていました。まだランプも、電燈でんとうもなく、ただふるぼけた行燈あんどんが、すみのところにいてありました。
子供の時分の話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
湯治場とうじばにでも行ったようなゆたかな心持になる。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
「ハハハ今でも御覧になれます。湯治場とうじばへ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
まず小田原まで踏み出しましたが、箱根のお関所がありますので、熱海の方角へ道を換えて、この湯治場とうじばに半月ほども隠れていました。それから引っ返して江の島、鎌倉……。
廿九日の牡丹餅 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「お父つぁんや直は、一生安楽に暮させてやる、土地がいづらければ、どこか湯治場とうじばにでもやって、一生不自由のないように面倒をみてやる、相模屋の暖簾にけて約束するって」
しじみ河岸 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
すると爺さんも中折なかおれも急に消えて、その代り肥った吉川夫人の影法師が頭のたつを排してつかつか這入はいって来た。連想はすぐこれから行こうとする湯治場とうじばの中心点になっている清子に飛び移った。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)