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清正公
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せいしょうこう
ふりがな文庫
“
清正公
(
せいしょうこう
)” の例文
とするとこの矛盾をどう解決するかと云うと、殺人罪は犯したかも知れんが、
清正公
(
せいしょうこう
)
前から電車に乗ったのは嘘ではないかと思える。
支倉事件
(新字新仮名)
/
甲賀三郎
(著)
具足町で名高けえものは、
清正公
(
せいしょうこう
)
様と和泉屋だという位に、江戸中に知れ渡っている
御大家
(
ごたいけ
)
だが、失礼ながら随分不取締りだと見えますね。ねえ、そうでしょう。
半七捕物帳:03 勘平の死
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「福岡が元寇で持っているように熊本は
清正公
(
せいしょうこう
)
と
西南
(
せいなん
)
の
役
(
えき
)
で持っています。斯う見えても徳さんは十年戦争の頃は二十何歳かの青年で
彼方此方
(
あっちこっち
)
を逃げ廻ったものです」
ぐうたら道中記
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
しばらく指の
尖
(
さき
)
で掻探さねばならなかったほど、可哀相に
大切
(
だいじ
)
に
蔵
(
しま
)
って、小さく、
整然
(
きちん
)
と畳んで、浜町の
清正公
(
せいしょうこう
)
の出世開運のお札と一所にしてあった、その新聞の切抜を出す
婦系図
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
清正公
(
せいしょうこう
)
の前まで行くと、そこにはもう同じ学校の制帽を冠って歩いている連中に逢った。
桜の実の熟する時
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
▼ もっと見る
やっとのことで、赤羽橋まで来て、初めて
人心地
(
ひとここち
)
がついた、
清正公
(
せいしょうこう
)
の
此処
(
ここ
)
の角を曲ると、もう三田の夜店の
灯
(
ひ
)
が、きらきら
賑
(
にぎや
)
かに見えたのだ、この時には蝶も、あたりに見えなかった
白い蝶
(新字新仮名)
/
岡田三郎助
(著)
舟は
豊後国佐賀関
(
ぶんごのくにさがのせき
)
に着いた。
鶴崎
(
つるさき
)
を経て、
肥後国
(
ひごのくに
)
に入り、
阿蘇山
(
あそさん
)
の阿蘇神宮、熊本の
清正公
(
せいしょうこう
)
へ祈願に参って、熊本と高橋とを三日ずつ捜して、舟で
肥前国
(
ひぜんのくに
)
島原に渡った。そこに二日いて、長崎へ出た。
護持院原の敵討
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
右に折れた道が弘隆寺、
清正公
(
せいしょうこう
)
のある寺の通りです。
幕末維新懐古談:12 名高かった店などの印象
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
所が支倉の論じようとしているのは、当日
清正公
(
せいしょうこう
)
前から電車に乗ったか乗らぬと云う問題でなく、人を殺したか殺さぬかと云う問題である。
支倉事件
(新字新仮名)
/
甲賀三郎
(著)
具足町で名高けえものは
清正公
(
せいしょうこう
)
さまと和泉屋だと云うくれえに、江戸中にも知れ渡っている御大家だが、失礼ながら随分不取締だとみえますね。ねえ、そうでしょう。
勘平の死
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
貧しい場末の
町端
(
まちはずれ
)
から、
山裾
(
やますそ
)
の浅い
谿
(
たに
)
に、
小流
(
こながれ
)
の
畝々
(
うねうね
)
と、次第
高
(
だか
)
に、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、
清正公
(
せいしょうこう
)
、弁財天、
鬼子母神
(
きしぼじん
)
、七面大明神、
妙見宮
(
みょうけんぐう
)
、寺々に祭った神仏を
瓜の涙
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
子供等は足の遅い節子を途中で待受けるようにしては
復
(
ま
)
た先へ急いで行った。節子はこうした日の来たことを夢のように思うという風で、叔父と一緒に黙し勝ちに
清正公
(
せいしょうこう
)
前
(
まえ
)
の停留場まで歩いた。
新生
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
警 知らん筈はない、
清正公
(
せいしょうこう
)
前あたりか。
支倉事件
(新字新仮名)
/
甲賀三郎
(著)
清
常用漢字
小4
部首:⽔
11画
正
常用漢字
小1
部首:⽌
5画
公
常用漢字
小2
部首:⼋
4画
“清正公”で始まる語句
清正公様
清正公樣