沒落ぼつらく)” の例文
新字:没落
舞台ぶたいはいふまでもなくさくらそのの女しゆ人ラアネフスカヤの邸宅ていたく廣間ひろまで、時ははる、その方の名家もやがて沒落ぼつらくといふかなしい運命うんめいの前にあるのだが
文壇球突物語 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
沒落ぼつらく一歩手前——といふそれは感じでした、學問好きで働きの無い丹三郎は、何も彼も賣り盡して、明日の當ても無い一日々々を暮して居たのでせう。
不良ふりやう少女せうぢよ沒落ぼつらく」といふ標題みだしもとに、私達わたしたち前後ぜんごしての結婚けつこんを×あたりに落書らくがきされてから、みなもうまるねんすごしました。Kさんがまづ母となり、あなたも間もなく母となりました。
冬を迎へようとして (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
怨む者はないか、奉公人の身持、伜と娘の縁談、あのお町といふ娘のゐた大名屋敷、先代の成瀬屋の沒落ぼつらくした時の樣子、殺された番頭傳六の身持、身寄——
父親の怪我やら家の沒落ぼつらくなどで、その當時にしてはき遲れになりましたが、それが今では幸せになつて、父親の介抱を一と手に、甲斐々々しく賃仕事をして
くはしく言つたら際限もねえ。俺は福屋の爲に沒落ぼつらくした、本家福屋の伜だと言つたら、お前にも判るだらう。
これは新鳥越の菱屋が沒落ぼつらくの時、番頭の金藏奴うまく立廻つてうんと取込んで置いたに違ひありません
夫は生前、加島家の沒落ぼつらくを歎き、どの樣にしても伜文次郎を武士に仕立て、家名を擧げることを心掛けて居りましたが、伜は柔弱にうじやくな生れで、武家奉公などは思ひも寄りません
母親はそれを苦に病んで父の後を追ひ、その後をぐ者もなく、鎌井家は沒落ぼつらく、お六は再び惡者に引戻され、美貌と器用さを重寶がられて、浮ぶ瀬もなく惡事に沈淪ちんりんして居たのです。
この成瀬屋なるせやの先代の娘で御座います。成瀬屋が沒落ぼつらくしたとき、少しの縁故をたどつて、さる大名屋敷に奉公に出て居りましたが、五年前私が引取りました。先代への義理で御座います。
沒落ぼつらくさせたのは、井筒屋と孫井筒屋のせゐだと思ひ込んで居るし、お喜代との間を割かれてゐるぢやないか。あの男が下手人でなきや、主人三郎兵衞は自分で自分の首をめたことになるぜ
「お前は傳六をうらんだ。そして成瀬屋一家の者を怨んだ。お前の父親をむづかしい公事くじ(訴訟)に引入れて沒落ぼつらくさせ、首をくゝるやうな目に逢はせたのは、傳六と總右衞門の惡企わるだくみだと知つてゐた」
「高力家の沒落ぼつらくは?」