武者輩むしゃばら)” の例文
国境、柳ヶ瀬方面の山々には、まだ鮮やかな雪のひだが望まれた。そこを越えて、北の国から湖へ落ちてくる風はまだ武者輩むしゃばらの鼻を赤めさすほど冷たかった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわんや、このとき、ただ今日のため、不断に磨き競って来た越後上杉の武者輩むしゃばらが、このにおいていのち以上のいのちとする士の「道」をにぶらすわけもない。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけて康清は有名な美声家なので、その音声おんじょうは、はるか山門の方にまでよく聞え、そのへんで出御待しゅつぎょまちしていた武者輩むしゃばらまでが、しいんと、一とき耳を洗われていた。
とはいえ、その朝、内裏へ踏みこんだ武者輩むしゃばらの狼藉は、腹いせまぎれもあるが、ひどいものだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『おれたち、武者輩むしゃばらでも、おのおの、家庭をもてば、子どもも生む。それが、なんのふしぎか』
頑丈な格子の向うに、人の顔がに揺らいでいる。荒木村重とほかの武者輩むしゃばらであった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけて、九郎判官が、天下てんかに身をれる尺地せきちもなくなった後も、労苦を共にして、連れ歩いている麗人とは、いったいどんな女性かと、武者輩むしゃばらは、眼をぎたてて、まわりに立った。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五里の果てに尽きて——鵜沼うぬま街道と飛騨ひだの山街道とが山中で交叉こうさしている辺りを起点として、わずか十名ほどな腹心の武者輩むしゃばらを従え、そこからさらに、裏谷へはいって、汗みどろに
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて足利の世となったら大身たいしんに取立てて迎えてやる。……いくら武者輩むしゃばらの仲間でも、天皇の御子みこやいばにかけたとうの者となっては、自然たれからも白眼視され、きらわれぬものではない
どやどやとそこへ押入った武者輩むしゃばらの中に、その僧も立ち交じっていた。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとたび菊水兵の結束にさわると、一体一心の七、八十人は山谺やまこだまも呼ぶ吠えをなして、猛然、死力の奮いを示し、さしも功にはやる大勢な武者輩むしゃばらも、例外なしに、死神の翼の下から逃げ惑うて逃げ散るか
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、武者輩むしゃばらのさかんな笑い声だった。高ノ師直の部下だろうか。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
などと少壮な武者輩むしゃばらの間には、不平の声が紛々ふんぷんとあった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
約三、四十人の武者輩むしゃばらであった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)