月輪つきのわ)” の例文
月輪つきのわの里まで送って行くつもりであったが、姫を乗せた牛車くるまが四、五町行くと、彼方かなたから一団のほのおと人影とが駈けてくるのと出会った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中には月輪つきのわ殿(九条兼実かねざね)の玉葉ぎょくよう八合、光明峯寺殿(同道家みちいえ)の玉蘂ぎょくずい七合などをはじめ、お家累代るいだいの御記録の類も数少いことではございませんでした。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
次には岩代耶麻やま月輪つきのわ村大字山潟の支村には餉沢かれいさわ新田がある。この宛字からは山路の側に清水などの出る地で、旅人がかれいしたためた場処などという説が起りそうだ。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
月輪つきのわ公の夜宴でお目にかかったことがあります。そうですか、やはり、離山なされることになったか。そうなくてはならないことでしょう。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中には月輪つきのわ殿(九条兼実かねざね)の玉葉ぎょくよう八合、光明峯寺殿(同道家みちいえ)の玉蘂ぎょくずい七合などをはじめ、お家累代るいだいの御記録の類も数少いことではございませんでした。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
「では、これは月輪つきのわ殿へおわたしいたして、よろしくと、伝えてください。——慈円も、登岳とうがくの後、このとおり、つつがのう暮しているとな」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
通俗的な親鸞上人伝によれば、修行僧時代の若い親鸞の恋人玉日たまひまえは、この月輪つきのわ兼実のむすめということになっている。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その日の乗馬月輪つきのわは、栗毛の牝馬めうまであったという。後に、信長は愛馬二図の画を描かせて屏風びょうぶに作らせたが、その中にはこの一頭も描かれていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
熱い眼がしらを、じっと、ふさいだ一瞬に、駿馬しゅんめ月輪つきのわは、もう城外へ駈けていた。疾風のように、暁闇を駈けていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、道すじを伏見街道に変えて、深草の里から大宮大和路へ抜け、月輪つきのわの方へすすんでいた途中だった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして足利一勢にてがわれた宿所の地は、やっと捜したような京も辰巳たつみ(東南)はずれの月輪つきのわだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ一色の源氏の白旗につづいて、千葉家の月輪つきのわの紋じるしも幾旒いくりゅうひるがえっていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
対足利の陣に重点をいたらしいが、その足利勢はたいした戦意でなく、かえって千種ちぐさ、赤松の連合軍が、しばしば突破口を作って、九条や月輪つきのわあたりまで兵火に煙らせて来はじめたので
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長がこの日の馬は、月輪つきのわとよぶ南部まき駿馬しゅんめだった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
範頼には一霞いちかすみ月輪つきのわ
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)