旭日きょくじつ)” の例文
それゆえその人の名声はチベットで旭日きょくじつのごとくに輝きのぼって、今もなおその名声が盛んである(この談話は後段につまびらかなり)。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
当時の春廼舎朧の声望は旭日きょくじつ昇天の勢いで、世間の『書生気質』を感歎するやあたかも凱旋がいせん将軍を迎うる如くであった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
この二ノ宮と云うのは、天下の二ノ宮と云われた生糸きいと商人で、一時は全く旭日きょくじつの勢いにあったと云う一家だと云う事だ。
魚の序文 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
鎌倉殿も木曾殿が旭日きょくじつ昇天のような勢いで京都へ迫ってゆくのをながめて、内心おこころよく思っていないことは争えません
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
例えば轆轤ろくろに集中する傘の骨、かなめに向って走るおうぎの骨、中心を有する蜘蛛くもの巣、光を四方へ射出する旭日きょくじつなどから暗示を得た縞模様は「いき」の表現とはならない。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
此地眺望最も秀美、東は滄海そうかい漫々まんまんとして、旭日きょくじつ房総ぼうそうの山に掛るあり、南は玉川たまがわ混々こんこんとして清流の富峰ふほうの雪に映ずるあり、西は海老取川えびとりがわを隔て云々、大層賞めて書いてある。
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
またほぼ旭日きょくじつの上る方角にあった故に、これを大東島と呼ぶことに何人なんびと躊躇ちゅうちょしなかった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ただ数百の兵営を国中に設け三里の城、七里のかく、飛鳥も越ゆるあたわざるの堅固なる塁柵るいさくを築き、砲台を設け、数十艘の甲鉄艦は旭日きょくじつの旗章を五大州各地の港湾に翻々たらしめ。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
右門の名声は旭日きょくじつ昇天の勢いで高められ、今では八丁堀といえば、ああ右門のだんなか、といわれるほどにも評判となっていたものでしたから、いくぶん嫉妬しっとの心持ちも交じっていたものか
けだしアフリカの林中に日出前つねにこの猴喧嘩するを暁の精が旭日きょくじつを歓迎頌讃しょうさんすと心得たからだと。これすこぶる支那で烏を日精とするに似る。日吉山王が猴を使者とするにこの辺の意義もありなん。
玄蕃の門人など六人まで撃ち込んで旭日きょくじつの勢いを見せたが、七人目に大月の高弟桐崎武太夫が出てこれを倒し、続いて松平の家来三、四人を撃ち負かした。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ついで日本国家の威力が旭日きょくじつの輝くごとく万国に光被せんことを祝願するので実にめでたい願文がんもんである。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
それから日本国が旭日きょくじつの昇るごとく強大になったのはどういう理由であるかというおたずね。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
羽柴どのもお若いが、織田どのの御中堅ごちゅうけんは、ほとんどみな壮年、御築城の壮観といい、そこに立たれている幕将方の意気といい、旭日きょくじつの勢いとは、これをいうかと、最前から見恍みとれておりました
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この頃ようやく、夜が明けて、海道の松のすがたの一つ一つも鮮やかとなり、東の方、播磨灘はりまなだの水平線と横たわる黎明れいめいの雲のあいだに、真ッ赤な旭日きょくじつが出陣の足なみをことほぐようにさし昇っていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
出る人物が出さえすれば、あした旭日きょくじつを仰ぐようなものではないか
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)