愛重あいちょう)” の例文
殊には、故信長も、於犬於犬と呼んで、犬千代のむかしから、織田の人材中でも、一器量として、愛重あいちょうかなかったほどの人物である。——
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小石川植物園内の大銀杏は維新後あやうり倒されようとしたおのの跡が残っているために今ではかえって老樹を愛重あいちょうする人の多く知る処となっている。
戴曼公はまた痘科を池田嵩山すうざんに授けた。嵩山の曾孫が錦橋きんきょう、錦橋のてつが京水、京水の子が瑞長である。これが池田氏のたまたま獲た曼公の遺品を愛重あいちょうしてかなかった所以である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
道衍あに孝孺が濂の愛重あいちょうするところの弟子ていしたるを以て深く知るところありて庇護ひごするか、あるいは又孝孺の文章学術、一世の仰慕げいぼするところたるを以て、これを殺すは燕王の盛徳をやぶ
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
親が愛してくれるよりも幾倍か自分を愛重あいちょうする事を心得ているのが今の我我婦人です。
女子の独立自営 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
創業の元勲として太祖の愛重あいちょうするところとなれるのみならず、西安せいあんに水道を設けては人を利し、応天おうてんに田租を減じては民をめぐみ、誅戮ちゅうりくすくなくすることを勧め、宦官かんがんさかんにすることをいさ
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)