意伯いはく)” の例文
そこへよく来ていた人物の中に上泉伊勢守の老弟鈴木意伯いはくがあり、柳生家の息子という柳生五郎左衛門があり、その弟の宗矩むねのりなどがあった。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つかはすとの御意にていとまになり又たさくの方もすぐながの暇となり意伯と夫婦に成べしとの御意にて是も五人扶持くだし置れしかば意伯いはくはお作の方と熊野くまの山奧やまおく蟄居ちつきよし十七年目にて御目通りなし又増扶持として五人扶持下し置れ都合つがふ十五人扶持にて平野村ひらのむらに住居し名を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「こちらは、門人鈴木意伯いはくと申す者。——また、これにおるのも、弟子の疋田ひった文五郎でござる」
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
申立其場は立去申まじと答ければ感應院の死去しきよは全く毒殺どくさつこそ知られけり抑々そも/\此清兵衞と云はもと紀伊大納言光貞卿みつさだきやう御意に入の醫師にて高橋意伯いはくとて博學はくがくの者なりしが光貞卿の御愛妾あいせふさくの方といふに密通みつつうなし大納言殿の御眼にれ其方深山幽谷しんざんいうこくに住居すべし家督かとくせがれへ申付捨扶持すてふちとして五人扶持を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
おい疋田ひった文五郎と、高弟の鈴木意伯いはくをつれて、今、裏門のほうからそこへ帰って来た。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おい疋田文五郎ひきだぶんごろうという者と、老弟の鈴木意伯いはくをつれ、諸国の兵法家を求めて遊歴していたもので、それがふと伊勢のふとの御所といわれる北畠具教とものりの紹介で、宝蔵院にまみえ、宝蔵院の覚禅房胤栄いんえい
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)