寧楽なら)” の例文
この重大な契機は、思想が急激に発達した飛鳥あすか寧楽なら時代においても失われなかった。天皇は、宇宙を支配せる「道」の代表者或いは象徴である。
蝸牛の角 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
上代じょうだい寧楽ならの文明は、輝かしき美麗な女を生んで、仏画に仏像に、その面影を残しとどめている。平安期は貴族の娘の麗わしさばかりを記している。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
和銅元年、元明げんめい天皇御製歌である。寧楽なら宮遷都は和銅三年だから、和銅元年には天皇はいまだ藤原宮においでになった。即ち和銅元年は御即位になった年である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
江戸城の壕端ほりばた、京洛の郊外、寧楽ならの寺々、姫路の古城等、数えれば忘れ難い風景が様々眼に浮びます。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
中には金魚が落雁らくがんを食ったような美少年も多く、南方先生「大内の小さ小舎人ことねりててにや/\」てふ古謡をおもい起し、寧楽なら・平安古宮廷の盛時を眼前に見る心地して
寧楽ならの盛時には、貴人はむろんかような風景をみつつ南大門から堂々と参詣さんけいしたのであろう。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
文学精神の面においてだけは青丹よし寧楽ならの都数千年の過去にたちかえらんとしても、幻を喰って生きていられるだけの余裕に立ってそれを主唱している少数の人々以外には
今日の文学の展望 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
吉野の桜もせたろう。みちあざみも咲きほうけて、歩くには少し汗ばむほどだが、牛の糞の乾くにおいにも、寧楽ならのむかしや、流転るてんあとしのばれたりして、歩き飽かないこの辺りの道だった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
青丹よし寧楽ならの都は咲く花の
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
こうして年老いて辺土に居れば、寧楽ならの都をも見ずにしまうだろう、というので、「をつ」という上二段活用の語は、元へ還ることで、若がえることに用いている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
寧楽ならの都に雪のふりしきる日、高殿に在って背の君と肩をならべ、その雪をながめていたならばどんなにうれしいことであろうと、何らの技巧粉飾を用いず歌われているのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
在来この種の題目の著書にほとんど取り扱われていない飛鳥あすか寧楽なら時代乃至ないし鎌倉時代に特に力を注ぎ、雑駁ながらも幾分の考えをまとめてみたのであるが、その講案の副産物として
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
歌は、天平の寧楽ならの都の繁栄を讃美したもので、直線的に云い下してごうとどこおるところが無い。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
天皇の御生涯しょうがいを偲ぶとき、私は一層その感を深くする。小野老朝臣おぬのおゆあそんが「あをによし寧楽ならの都は咲く花のにほふがごとく今盛なり」と詠じたように、天平のみ代はたしかに稀有けうの黄金時代であったろう。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)