すえ)” の例文
唖の巳代吉は貧しい牧師の金を盗んだり、五宿の女郎を買ったりして居ましたが、今は村に居ません。盲の亥之吉も、すえの弟も居ません。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
どちらも春から芽を出しながら、百合は秋の初、コスモスは秋のすえ覚束おぼつかなげな花が咲くまで、いじけたままに育つのである。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しこうして象山の説遂に行なわれず。九月十八日、江戸を去り、西のかた長崎に至りしも、事意の如くなるを得ず。十二月のすえに及び、た江戸に帰る。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
ヨモヤとは思うが、大杉は野枝と一緒に鶴見の弟の家からすえの妹の子を伴れて、弟に送られて川崎まで帰って来たのはタシカで、それから先きが行方不明なのだそうだ。
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
然るに嘉永のすえ亜美利駕アメリカ人、我に渡来し、はじめて和親貿易の盟約を結び、またそのよしみを英、仏、魯等の諸国に通ぜしより、我が邦の形勢、ついに一変し、世の士君子
慶応義塾の記 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
又そのすえの弟があって、家内では彼を小哥しょうかと呼んでいたが、小哥は若い者の習い、賭博とばくにふけって家のぜにを使い込んだので、兄たちにひどい目に逢わされるのをおそれて、どこへか姿をくらました。
もう世はすえになって、最後の審判が近づいていますね。
これも早くから一癖ひとくせあったすえの弟の米三郎と二人して江戸へ乗出し、小石川は伝通院でんずういん前の伊勢長いせちょうといえばその頃の山の手切っての名代の質商伊勢屋長兵衛方へ奉公した。
とついで京都に往って居るすえむすめの家を訪うべく幾年か心がけて居た母と、折よく南部なんぶから出て来た寄生木やどりぎのお新お糸の姉妹を連れて、余の家族を合せて同勢どうぜい六人京都に往った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
暁湖ののちいだのは養子元佶げんきつで、実はすえの弟である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
一番すえのをヘラクレスさんが殺しましたの。
いよ/\馬鈴薯、甘藷に落ちつく外ありません。其処に前顕ぜんけんのS女が見舞に来ました。彼女は本文「次郎桜」の主人公にはすえの妹で、私共の外遊帰来三年間恒春園に薪水の労を助けた娘です。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)