字面じづら)” の例文
蕪村とは天王寺かぶらの村ということならん、和臭を帯びたる号なれども、字面じづらはさすがに雅致ありて漢語として見られぬにはあらず。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
が、そこで米友が、まず目についたのは、その柳の木の下に一つの立札があって、これに筆太く記された字面じづらを読んでみると
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一番の問題は、字面じづらである。ページにしてみると、改行の効果が、出る場合と、出ない場合とがあることに気がつく。
校正の話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
モラル・バックボーンという何でもない英語を翻訳すると、徳義的脊髄という新奇でかつおもむきのある字面じづらが出来る。
然し彼の文章の字面じづらからくる迫真力というものは、やっぱり私の心眼を狂わせる力があって、それは要するに、彼の文章を彼自身がそう思いこんでいるということ
後世に残された語録の字面じづらなどからは到底とうてい想像も出来ぬ・極めて説得的な弁舌を孔子はっていた。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
恐らくこれは字面じづらから見て、親方が、勝手につけた名前に違いないが、本名となると彼自身は勿論の事、親方だってハッキリ知っているかどうかは疑わしいものだった。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
細根ほそね大根を漢音かんおんに読み細根さいこん大根といわば、口調も悪しく字面じづらもおかしくして、漢学先生の御意ぎょいにはかなうまじといえども、八百屋の書付かきつけに蘿蔔一束あたい十有幾銭と書きて
小学教育の事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
父親の同僚に誰か読書人がいて、隼の字面じづらの殺伐さを嫌って、こんな雅名を与えたものであろう。
無闇むやみ字面じづらを飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。
芸術ぎらい (新字新仮名) / 太宰治(著)
長谷川はじっと字面じづらを見た。
五階の窓:05 合作の五 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
蕪村とは天王寺かぶらの村といふ事ならん、和臭を帯びたる号なれども、字面じづらはさすがに雅致ありて漢語として見られぬにはあらず。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
北上の名の字面じづらも単純ではあるが、大きくして淋しい、または何となくこの川の川相を尽している、なんぞと字義の詮索にまで及んでみました。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
描かれたは無論冒険者アドヴェンチュアラー字面じづらの許す範囲内で、もっとも強い色彩を帯びたものであった。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
無闇むやみ字面じづらを飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。
風の便り (新字新仮名) / 太宰治(著)
幕府の威力衰えたりといえども、西洋の風潮、多少人に熟したりといえども、「切支丹」の文字は字面じづらそのものだけで、まだたしかに有司を嫌悪けんおせしめるの価値がある。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかし今のところあなたを通してよりほかに、ありのままの兄さんを、兄さんの家庭に知らせる手段はないのだから、あなたも少し真面目まじめになって、聞き慣れない字面じづらに眼を御注おそそぎなさい。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
兵馬は何とも答えないで、その女の描いた不器用な絵図と、まずい字面じづらを、じっとながめている——そうしてかなりながい時間の間、兵馬が沈黙しているものですから
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
馬鹿囃子みたようなものにとられやすいですけれど、文字そのものを吟味してごらんなさい、神を楽しむ、或いは神を楽しませ申すという立派な字面じづらです、従って、神楽師といえば
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)