子婦よめ)” の例文
此年の暮れむとする十二月二十五日に、広島では春水が御園みその道英のぢよじゆん子婦よめに取ることを許された。不幸なる最初の山陽が妻である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
〔新婦と〕いかなる新婦もアダムの裔なればその女に當り、アダムの裔なる男子に嫁すればその子婦よめに當る
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
わが邦までも子婦よめを取り戻したり、身代を飲み尽くした者あったに異ならず。
島は清休の子婦よめ、廓清の妻になつて、一子東清を擧げた。若し島が下げられた時、義公のたねやどしてゐたとすると、東清は義公の庶子しよしであらう。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
あゝ熟して結べる唯一たゞひとつ果實このみよ、あゝ新婦はなよめといふ新婦をむすめ子婦よめつ昔の父よ 九一—九三
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
定に代って渋江の家に来た抽斎の二人目の妻威能は、よよ要職におる比良野氏の当主文蔵を父に持っていた。貧家のじょに懲りて迎えた子婦よめであろう。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
説いてこゝに至れば、ひとり所謂落胤問題と八百屋お七の事のみならず、かの藤井紋太夫の事も亦清休、廓清の父子と子婦よめ島との時代に當つてゐるのがわかる。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかし清休がためには、島は子婦よめである。光圀は清休をして島を子婦として迎へしめ、俸祿を與へたのであらう。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
この人は抽斎の父允成が、子婦よめには貧家に成長して辛酸をめた女を迎えたいといって選んだものだそうである。夫婦のよわいは抽斎が十九歳、定が十七歳であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
抽斎の母ぬいは、子婦よめを迎えてから半年立って、文政七年七月朔に剃髪して寿松じゅしょうと称した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
文政の初年には竜池が家に、父母伊兵衛夫婦が存命していて、そこへ子婦よめ某氏が来ていた。竜池は金兵衛以下数人の手代てだいを諸家へ用聞にり、三日式日さんじつしきじつには自身も邸々やしきやしき挨拶あいさつに廻った。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)