太物ふともの)” の例文
大門通りも大丸からさきの方は、長谷川町、富沢町と大呉服問屋、太物ふともの問屋が門並かどなみだが、ここらにも西陣の帯地や、褂地うちかけじなどを扱う大店おおだながある。
旧聞日本橋:02 町の構成 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
奈々の方の年は十八歳、日本橋石町の太物ふともの問屋の娘で、御殿新築の費用も、半分は親元で負担するということであった。
屏風はたたまれた (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
土藏の中には、商賣物の呉服太物ふとものと、暮の間に問屋筋への拂ひに當てるために、ひと工面して諸方から掻き集めた金が、ざつと千兩も入つてをります。
いつも、若い番頭を一人つれて太物ふとものの旅商いに歩き、家には本来相当な財産がある上に、勤勉家でもあり、商売上手でもありなかなか繁昌したものです。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
塩、鰹節かつぶし太物ふともの、その他上田で小売する商品の中には、小諸から供給する荷物も少くないという。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「まあうさ。この地は何でも分業だ。先刻通った谷町が洋服屋、松屋町が駄菓子屋、それから会社銀行はこの向うの高麗橋通こうらいばしどおり、呉服太物ふとものなら本町通ほんまちどおりというような次第わけでね」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
父は四国の伊予の人間で、太物ふとものの行商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「へえ。日本橋式部小路にほんばししきぶこうじ太物ふともの商、磯屋五兵衛いそやごへえてえお人が、お見えでごぜえます」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
もち呉服物ごふくものあきな日々ひゞ繁昌はんじやうなすに近頃ちかごろ其向そのむかう見世開みせびらきをなして小切こぎれ太物ふともの
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
是は必ずしももうれてしまったとも言われぬのは、近い頃までも夏だけはなお麻を用い、木綿といっても多くは太物ふとものであり、織目おりめも手織で締まらなかったから、まだ外気との交通が容易であったが
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
土蔵の中には、商売物の呉服太物ふとものと、暮の間に問屋筋への払いに当てるために、ひと工面して諸方から掻き集めた金が、ざっと千両も入っております。
「これもご吟味のはじめにお答え申しましたが、業態はお届けのとおり、呉服太物ふともの、家具什器じゅうきの販売にございます」
改訂御定法 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
太物ふともの問屋のお嫁御よめごになって、連合つれあいに別れたので、気苦労のないところへと再嫁して、浜子さんを生んだ時に、女の子だったらば、琴が上手じょうずになるようにと
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
こゝに上州より太物ふともの
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
と云って、一人息子の半太郎は十五の年に江戸の太物ふともの問屋へ奉公に出してしまった。
無頼は討たず (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
商賣物の呉服太物ふともののストツクを貯へる棚で埋められ、その中程の少しばかりの空所に、お喜代の床が敷いたまゝで、その上にお喜代が、無殘、自分の扱帶しごきで首を絞められて死んでゐるのです。
あぶらの乘り切つた男盛りを、親讓りの金があり過ぎて、呉服ごふく太物ふともの問屋の商賣にも身が入らず、取卷末社を引つれて、江戸中の盛り場を、この十年間飽きもせずに押し廻つて居る典型的なお大盡です。