大曲おおまがり)” の例文
それからまた、終戦後、小石川の大曲おおまがりで、はからずも横浜植木会社と看板のある埃ッぽい花卉店のウインドを見かけた事があった。
二人は大曲おおまがりで下りた後江戸川端から足の向く方の横町へとぶらぶら曲って行ったが、する中にいつか築土つくど明神下の広い通へ出た。
夏すがた (新字新仮名) / 永井荷風(著)
丁度その時、俗に大曲おおまがりと称する急カーブにさしかかるのだ。列車がひどく動揺する。自然人形はそこで振り落されることになる。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その途中で大曲おおまがりで一泊して六郷を通り過ぎた時に、道の左傍に平和街道へ出る近道が出来たという事が棒杭ぼうぐいに書てあった。
くだもの (新字新仮名) / 正岡子規(著)
私は散々捜し抜いた揚句あげく、諦め切れない心持で、大曲おおまがりから黒沢尻に出、小牛田の駅前の宿屋に泊ったのは、東京を発ってから七日目の夕刻でした。
あの時に江戸川えどがわ大曲おおまがりの花屋へ寄って求めたのがやはりベコニアであった。紙で包んだ花鉢をだいじにぶら下げて車にも乗らず早稲田わせだまで持って行った。
病室の花 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
この北国の山間に寂しく煙を立てて幾許いくばくかの焼物を焼き続けているのは奇蹟である。出来たものは近くの大曲おおまがり角館かくのだてに多少入るが多くは山間の部落へ散ってしまう。
現在の日本民窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
左の道をたどれば網走市内の大曲おおまがりから網走川を渡った対岸の崖にある、これもペシュイの洞窟へ抜けるが、右の道を行くと、ポㇰナシル(4)(あの世)へ行ってしまうという。
それから仙北郡には大曲おおまがりのネムリ流しがある(月の出羽路九)。生保内おぼない村のネブタ流しは、入込んだ山寄りの村だけに、その行事がずっと質素で、竿燈かんとうなどという飾り物はない。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
けれども橋を向うへ渡って、小石川の坂を上る事はやめにして帰る様になった。ある時彼は大曲おおまがりの所で、電車をおりる平岡の影を半町程手前から認めた。彼はたしかにそうに違ないと思った。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
昭和三年七月三日(西暦千九百二十八年)江戸川大曲おおまがりで電車の大衝突があった日の数分前、同じ地点を通過した大菩薩峠の著者は、現在、武州御岳山麓の道場でこの小説の筆を執っているが
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
江戸市中の地理に明るくない彼は、正直に両国橋を渡って、神田川に沿って飯田橋に出て、更に江戸川のどてに沿うて大曲おおまがりから江戸川橋にさしかかったのは、もう五ツ(午後八時)を過ぎていた。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「明日は、大曲おおまがりの花屋の前の辺にいます。いらっしゃい」
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
愁眉しゅうびをひらいて、人々は、上水の川尻へ眼をやった。大曲おおまがりの方から、川端を、悠長ゆうちょうに練ってくる一列の提灯とかごとが、それらしく見える。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武蔵野むさしのの西から流れて来た小川が、そこで滝になって、昔は桜の名所であった江戸川となり、大曲おおまがりを曲って、飯田橋いいだばしの所で外堀に流れ込んでいるのだ。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
同郡大曲おおまがりではサシドリまたはサシボッコは若芽、そうでない場合がドンガラだという。
ここは小石川大曲おおまがりの小野忠雄ただおの道場。そして門弟三千と称されている中の最下級に、春日新九郎も半年前から名を連ねている。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)