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博學
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はくがく
又一
面には
彼は
立派な
教育を
受け、
博學多識で、
何んでも
知つてゐると
町の
人は
言ふてゐる
位。で、
彼は
此の
町の
活きた
字引とせられてゐた。
申立其場は立去申まじと答ければ感應院の
死去は全く
毒殺と
社知られけり
抑々此清兵衞と云は
元紀伊大納言
光貞卿御意に入の醫師にて高橋
意伯とて
博學の者なりしが光貞卿の御
愛妾お
作の方といふに
密通なし大納言殿の御眼に
觸れ其方
深山幽谷に住居すべし
家督は
悴へ申付
捨扶持として五人扶持を