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午后
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ごご
ふりがな文庫
“
午后
(
ごご
)” の例文
そこで
工芸
(
こうげい
)
学校の先生は、町の
紫紺染研究会
(
しこんぞめけんきゅうかい
)
の
人達
(
ひとたち
)
と
相談
(
そうだん
)
して、九月六日の
午后
(
ごご
)
六時から、
内丸西洋軒
(
うちまるせいようけん
)
で山男の
招待会
(
しょうたいかい
)
をすることにきめました。
紫紺染について
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
きょうは
午后
(
ごご
)
から
鵞口瘡
(
がこうそう
)
疫の事に
就
(
つい
)
て。組合本部の役員会がある
筈
(
はず
)
なれど
差支
(
さしつか
)
える事があって往をやめた
牛舎の日記
(新字新仮名)
/
伊藤左千夫
(著)
朝の一時間目からみていた方が参考にもなり、
又
(
また
)
面白
(
おもしろ
)
かったのです。私のみたのは今も云いました通り、
午后
(
ごご
)
の授業です。一時から二時までの間の第五時間目です。
茨海小学校
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
十六日 前夜より寺島の
犢
(
こうし
)
がしきりに鳴く。
午后
(
ごご
)
の乳搾る頃になりてますます鳴く。どうしたのじゃ飼の足らぬのじゃないかと
云
(
い
)
えば。飼は充分やってあるのです 又よく
喰
(
く
)
うのです。
牛舎の日記
(新字新仮名)
/
伊藤左千夫
(著)
教科書がまだ来ないので明日もやっぱり実習だという。
午后
(
ごご
)
はみんなでテニスコートを
直
(
なお
)
したりした。
或る農学生の日誌
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
▼ もっと見る
(
午后
(
ごご
)
イギリス
海岸
(
かいがん
)
に
於
(
おい
)
て
第
(
だい
)
三
紀
(
き
)
偶蹄類
(
ぐうているい
)
の
足跡標本
(
そくせきひょうほん
)
を
採収
(
さいしゅう
)
すべきにより
希望者
(
きぼうしゃ
)
は
参加
(
さんか
)
すべし。)
イギリス海岸
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
校長さんの
狐
(
きつね
)
は下を向いて二三度くんくん云ってから、新らしく紅茶を私に
注
(
つ
)
いでくれました。そのときベルが鳴りました。
午后
(
ごご
)
の課業のはじまる十分前だったのでしょう。
茨海小学校
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
「さあ、昨日の
午后
(
ごご
)
に校長が、おいでになっただけでした。それだけだったと思います。」
フランドン農学校の豚
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
丁度
午后
(
ごご
)
二時に授業がすみましたので、いつものように教室の
掃除
(
そうじ
)
をして、それから二人
一緒
(
いっしょ
)
に学校の門を出ましたが、その時二人の頭の中は、昨日の変な子供で
一杯
(
いっぱい
)
になっていました。
風野又三郎
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
五月十一日 日曜
曇
(
くもり
)
午前は母や
祖母
(
そぼ
)
といっしょに
田打
(
たう
)
ちをした。
午后
(
ごご
)
はうちのひば
垣
(
がき
)
をはさんだ。何だか
修学旅行
(
しゅうがくりょこう
)
の話が出てから家中へんになってしまった。僕はもう行かなくてもいい。
或る農学生の日誌
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
午后
(
ごご
)
一時に
約束
(
やくそく
)
の通り
各班
(
かくはん
)
が
猿ヶ石
(
さるがいし
)
川の
岸
(
きし
)
にあるきれいな
安山集塊岩
(
あんざんしゅうかいがん
)
の
露出
(
ろしゅつ
)
のところに
集
(
あつま
)
った。どこからか
小梨
(
こなし
)
を
貰
(
もら
)
ったと
云
(
い
)
って先生はみんなに分けた。ぼくたちはそこで地図を
塗
(
ぬ
)
りなおしたりした。
或る農学生の日誌
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
四月二十日の
午后
(
ごご
)
四時
頃
(
ころ
)
楢ノ木大学士の野宿
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
一、
午后
(
ごご
)
の授業
銀河鉄道の夜
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
午
常用漢字
小2
部首:⼗
4画
后
常用漢字
小6
部首:⼝
6画
“午后”で始まる語句
午后零時