仮名垣魯文かながきろぶん)” の例文
旧字:假名垣魯文
兼吉は綽号あだなを鳥羽絵小僧と云った。想うに鳥羽屋の小僧で、容貌ようぼうが奇怪であったからの名であろう。即ち後の仮名垣魯文かながきろぶんである。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
採菊山人はすなわち山々亭有人さんさんていありんどにして仮名垣魯文かながきろぶんの歿後われら後学の徒をして明治の世に江戸戯作者の風貌を窺知うかがいしらしめしもの実にこの翁一人いちにんありしのみ。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
一方には当時諷刺ふうし諧謔かいぎゃくとで聞こえた仮名垣魯文かながきろぶんのような作者があって、すこぶるトボケた調子で、この世相をたくみな戯文に描き出して見せていた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
単に歴史をありのままに見せるに過ぎないという、一種の冷罵れいばを意味している名称で、絵入新聞に仮名垣魯文かながきろぶんがこう書いたのが嚆矢こうしであるとか伝えられている。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そこで口上看板を仮名垣魯文かながきろぶん先生に頼み、立派なわくを附け、花を周囲に飾って高く掲げました。こんな興業物的の方は友達の方が受け持ちでやったのでありました。
新文学の興らぬ明治の初年、仮名垣魯文かながきろぶんといえば今いう文壇(?)の大御所。その盛名を慕って少しく文筆をもてあそぶ輩は我も我もと門下に集まり、△垣△文の戯号を授かって大得意。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
言い換えれば、ことごとく旧物を捨てて新らしきを求め出した時代である。『膝栗毛』や『金の草鞋わらじ』よりも、仮名垣魯文かながきろぶんの『西洋道中膝栗毛』や『安愚楽鍋』などがはやされたのである。
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
当時朝から晩まで代る代るに訪ずれるのは類は友の変物奇物ばかりで、共に画を描き骨董こっとうを品して遊んでばかりいた。大河内おおこうち子爵の先代や下岡蓮杖しもおかれんじょう仮名垣魯文かながきろぶんはその頃の重なる常連であった。
仮名垣魯文かながきろぶんの門人であった野崎左文のざきさぶんの地理書にくわしく記載されているとおり、下総しもうさの国栗原郡勝鹿かつしかというところに瓊杵神ににぎのかみという神がまつられ、その土地から甘酒のような泉が湧き
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
仮名垣魯文かながきろぶんさんが欲しがって、例の覗眼鏡の軍艦の下を張る反古ほごがなかった処、魯文さんが自分の草稿一屑籠ひとくずかご持って来て、その代りに欲しがっていたゴム枕を父があげた事を覚えています。
本文の執筆は仮名垣魯文かながきろぶんが第一、ついで山々亭有人の条野さん、三世種彦の高畠藍泉、河竹其水の黙阿弥など、就中魯文の引札は数知れず、野崎左文翁の蒐集だけでも千枚以上、恐らく五
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
一方にはそこに置いてある新版物を見つけて当時評判な作者仮名垣魯文かながきろぶんの著わしたものなぞに読みふける客もあれば、一方には将棋をさしかけて置いて床屋の弟子でしに顔をやらせる客もある。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
仮名垣魯文かながきろぶんが「いろは新聞」の全紙面を花柳通信に費したのも怪しむに足りない。芝居道楽といふディレツタントの劇評家が六二連ろくにれんを組織して各座の劇評を単行本として出版したのも不思議ではない。
虫干 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)