“きばう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
希望53.8%
驥蝱7.7%
驥䖟7.7%
奇峰7.7%
己卯7.7%
既望7.7%
癸卯7.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そして、先生せんせいた、一心不亂いつしんふらん此精神このせいしんもつ兒童じどうみちびき、何時いつたのしげにえ、何時いつ其顏そのかほ希望きばうかゞやいてました。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
一行は霞亭、凹巷、敬軒、子文の四人である。子文は茶山集、驥蝱きばう日記等にも見えてゐる人である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
西村は「子譲初欲自書栄公事、顧命予其撰」と云つてゐる。西村維祺は或は驥蝱きばう日記の西村子賛しさんではなからうか。此篇は霞亭の世系を説くこと、墓誌に比すればやゝ詳である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「一発東都幾日程。与君毎並竹輿行。」驥䖟きばう日記は恐くは品川より四日市に至る間の事を叙したものであらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
河崎に驥䖟きばう日記の著があつたことは既に言つた。しかしわたくしは未だ其書を見るに及ばなかつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
只管ひたすら写真機械をたづさへ来らざりしをうらむのみ、いよ/\溯ればいよ/\奇にして山石皆凡ならず、右側の奇峰きばうへて俯視ふしすれば、豈図あにはからんや渓間けいかんの一丘上文珠もんじゆ菩薩の危坐きざせるあり
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
此知性の父は「玄譽幽本居士、寶暦九年己卯きばう三月十六日」、母は「深譽幽妙大※、寶暦五年乙亥おつがい十一月五日」としてある。更にこれよりさかのぼつて、「月窓妙珊大※めうさんだいし、寛保元年辛酉しんいう十月二十四日」
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
おとらが死んでから第十三日が八月既望きばうである。「十五夜」の詩の註には「半月前喪姪孫女」と云つてある。牀頭の小珠が此おとらであることは固より疑を容れない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
卷尾には「享保八年癸卯きばう七月七日於京都、里村昌億翁以本書、乾正豪寫之」と云ふ奧書があつて、其次の餘白に、「先師次第」と題した略系と「玄川先祖より次第」と題した略系とが書き添へてある。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)