高遠たかとお)” の例文
高崎はじめ諏訪すわ高遠たかとおの領地をも浪士らが通行の上のことであるから、当飯田の領分ばかりが恥辱にもなるまいとの意味のことがしたためてあった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信州も高遠たかとお附近ではマンガといい、そうしてこれと差別するために、改良ぐわの一種はマンノガ、馬鍬はマグワと謂っている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この島に流されて、高遠たかとおの松山の家に苦しくもとじこめられ、日に三度の食事をもってくる者以外には、誰ひとりとして参って仕えるものもない。
名に負う鏡弓之進は、高遠たかとおの城主三万三千石内藤駿河守するがのかみの家老の一人、弓は雪河流せっかりゅう印可いんかであるが、小中黒こなかぐろの矢をガッチリとつがえキリキリキリと引き絞ったとたん
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
信州高遠たかとおの城にあった仁科五郎信盛にしなごろうのぶもりは、まさにその人であった。信盛は、四郎勝頼の弟でもある。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぴんからきりまで心得て穴熊あなぐま毛綱けづな手品てづまにかゝる我ならねば負くるばかりの者にはあらずと駈出かけだしして三日帰らず、四日帰らず、あるいは松本善光寺又は飯田いいだ高遠たかとおあたりの賭場とばあるき
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
もはや、東山道軍と共に率先して戦地におもむいた山吹藩やまぶきはんの諸隊は伊那の谷に帰り、北越方面に出動した高遠たかとお飯田いいだ二藩の諸隊も続々と帰国を急ぎつつあった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信州高遠たかとお町少林寺の境内につきの古木がある。これを矢立の木という(木の下蔭)。矢をもって神を祭り武運を祈るというのも、また領内の安全の祈祷であろう。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
韮崎にらさきから西へ、こまヶ岳たけ仙丈せんじょうなどのすそって、伊那の高遠たかとおへ越えて行く山道がある。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういうおまんの教養は、まったく彼女の母から来ている。母は、高遠たかとお内藤大和守ないとうやまとのかみの藩中で、坂本流砲術の創始者として知られた坂本孫四郎の娘にあたる。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
高遠たかとお藩の方に聞こえた坂本家から来た人だけに、相応な教養もあって、取って八つになる孫娘のおくめ古今集こきんしゅうの中の歌なぞを諳誦あんしょうさせているのも、このおまんだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
さよう、さよう、まだそのほかに高遠たかとお宮城みやしろからも一人ありました。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)