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饗膳
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きょうぜん
ふりがな文庫
“
饗膳
(
きょうぜん
)” の例文
きょう
研
(
と
)
ぎ上がって来たばかりの刀である。小次郎は、
渇
(
かわ
)
いた胃が
饗膳
(
きょうぜん
)
へ向ったように、相手の影を獲物として、じっと見すえた。
宮本武蔵:07 二天の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
又ずっと後の寛永初年(五年
歟
(
か
)
)三月十二日、徳川二代将軍秀忠が政宗の藩邸に臨んだ時、政宗が自ら
饗膳
(
きょうぜん
)
を呈した。
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
高級役人や殿上人の
饗膳
(
きょうぜん
)
などは
内蔵寮
(
くらりょう
)
から供えられた。左大臣、
按察使
(
あぜち
)
大納言、
藤
(
とう
)
中納言、
左兵衛督
(
さひょうえのかみ
)
などがまいって、皇子がたでは
兵部卿
(
ひょうぶきょう
)
の宮、
常陸
(
ひたち
)
の宮などが侍された。
源氏物語:51 宿り木
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
夜は、
散楽
(
さんがく
)
を催して、やがての
聟
(
むこ
)
の君たる次男の利政にも、客のまえで舞わせて見せ、昼も、
饗膳
(
きょうぜん
)
の美をつくし、やがて帰国の朝には
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
太政大臣が命じてそれを
大御肴
(
おおみさかな
)
に調べさせた。親王がた、高官たちの
饗膳
(
きょうぜん
)
にも、常の様式を変えた珍しい料理が供えられたのである。人々は陶然と酔って夕べに近いころ、
伶人
(
れいじん
)
が召し出された。
源氏物語:33 藤のうら葉
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
▼ もっと見る
やがて西之坊の広間で、光秀を主とする
饗膳
(
きょうぜん
)
の宵が過された。ここでは
紹巴
(
じょうは
)
やその連れもひとつになり、また山房の住持たちも席に
交
(
まじ
)
わった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そこで智深は、
宵
(
よい
)
のまに、花嫁の部屋に隠れこみ、そこの
帳
(
ちょう
)
を垂れて、寝台に横たわった。もちろん彼にも
饗膳
(
きょうぜん
)
と酒が供されたので、
鱈腹
(
たらふく
)
たべて、寝こんでいる……。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後、岐阜城へ招かれたとき、諸将と共に、
饗膳
(
きょうぜん
)
を賜わったが、そのあとで信長が、例の酒興か、承知のうえで、村重の
胆試
(
きもだめ
)
しをしたものか、佩刀のさきに、饅頭を突き刺して
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「やがて、小沛と徐州がおれの
饗膳
(
きょうぜん
)
へ上るとすれば、安い代価だ」
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
善美の
饗膳
(
きょうぜん
)
を前に、呂布は、手に玉杯をあげながら主人へ云った。
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「久々にて、戦地から秀吉の上府じゃ。多年の
陣務
(
じんむ
)
、戦場の不自由、思いやらるる。——明朝の登城には、充分、なぐさめて
遣
(
つか
)
わしとう思う。
饗膳
(
きょうぜん
)
のこと、そちたち
奉行
(
ぶぎょう
)
いたせ。たくさん馳走してやれよ」
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
挨拶だけで、会談の主題に入らないうちに、
饗膳
(
きょうぜん
)
が出て
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
饗膳
(
きょうぜん
)
を据えた一事を見てもわかることである。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
饗
漢検準1級
部首:⾷
22画
膳
常用漢字
中学
部首:⾁
16画
“饗”で始まる語句
饗応
饗宴
饗
饗應
饗庭
饗庭篁村
饗饌
饗応役
饗筵
饗応奉行