韮山にらやま)” の例文
先ず要鎮の一である韮山にらやま城は、氏政の弟、氏則が守り、山中城には城将松田康長の外に、朝倉景澄かげずみ等の腹心の諸将を派遣して居る。
小田原陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
矢田部先生は、伊豆韮山にらやまの人で、父君は江川太郎左衛門に仕えた人であった。令息は今日音楽界に活躍しておられる矢田部勁吉けいきち氏である。
下曾根さんは旧幕名家の出、伊豆韮山にらやまの江川太郎左衛門と相並んで高島秋帆門下の砲術の名人であった下曾根金之丞は父でした。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
猫頭巾——なげ頭巾のいずれでもなく、まして女性の専用とした突盔とっぱい頭巾のいずれでもなく、近代形の韮山にらやま頭巾でもない。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
よくはおぼえていないが、江戸時代の砲術家ほうじゅつかで、伊豆いず韮山にらやま反射炉はんしゃろというものをきずいて、そこで、そのころとしてはめずらしい大砲を鋳造ちゅうぞうしたという人である。
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
といふ、これに似通つた流行唄の文句があるのだが、韮山にらやま痴川は、白昼現にあの街角この街角を曲つてゐるに相違ない薄気味の悪い奴を時々考へてみると厭な気がした。
小さな部屋 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
陣屋は伊ヶ島にりまして、伊豆国いずのくに韮山にらやま郡代官ぐんだいかん太郎左衞門たろうざえもんの支配、同組下五ヶ村名主兼勤けんきん森大藏もりだいぞう下役頭したやくがしら平林勘藏ひらばやしかんぞうという者が罪人一同を預かり、翌日罪状と引合せて
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
でなくは切支丹きりしたんではないかと、韮山にらやまで興行の折は、江川太郎左衛門えがわたろうざえもん様の手代衆が一応お調べになりまして、確かに魔法妖術ようじゅつときめて、既に獄門にもなろうとしましたのを
丹那山の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
韮山にらやまをかなたとばかり晩靄ばんあいの間に眺めて村々の小道小道に人と馬と打ちまじりて帰り行く頃次の駅までは何里ありやと尋ぬれば軽井沢とてなお、三、四里はありぬべしという。
旅の旅の旅 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
韮山にらやま西之窪にしのくぼへ百、山之木ごうの南の丘の林へ八十、北の木無山きなしやまの裏あたりへも五十ほど、日が暮れたら、早速に兵をかくして置け。——それも、ぽつぽつと、人目立たぬように」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
女づれの遊山ゆさん旅に、桔梗一本折ればといって、駕籠をかついだおじさんに渡りをつけねえじゃならなかったに、名物の外郎ういろうは、たまにゃ覚えた人があろか、清見寺の欄干から、韮山にらやまにじを見たって
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
十兵衛は伊豆国いずのくに韮山にらやまの某寺に寺男てらおとこをしているので、妙了は韮山へ往った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
韮山にらやま代官の竿入さおいれ(年貢改め)にも与ったほどの家柄だったが、いまの嘉兵衛が人の口車に乗って、葡萄の酒造りという新奇な仕事に手を出し、大掛りに葡萄の栽培を始めたのが不運のつき始め
暗がりの乙松 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
江川太郎左衛門が伊豆の韮山にらやまに立てたのは有名なる反射炉であります。江川がその反射炉を立てる時に最も苦心したのは煉瓦れんがでありました。煉瓦を作る土でありました。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
狩支度で、韮山にらやまの奥へはいった定綱、盛綱の兄弟だった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
妙了尼はこの年九十四歳を以て韮山にらやまに歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
行く手の夜空に黒々と望まれる韮山にらやまのすそである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)