隴西ろうせい)” の例文
「夜来の旅人。もはや先へ行くは無用。隴西ろうせいの二郡はすでにちてわが手にあり、汝らも無益な戦いやめて、わが前にかぶとを投げよ」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
軽薄なる世人の常とて、当時隴西ろうせい(李陵の家は隴西の出である)の士大夫したいふら皆李家を出したことを恥としたと記されている。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
隴西ろうせい李白りはく襄陽じょうよう杜甫とほが出て、天下の能事を尽した後に太原たいげん白居易はくきょいいで起って、古今の人情を曲尽きょくじんし、長恨歌ちょうこんか琵琶行びわこうは戸ごとにそらんぜられた。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「私は隴西ろうせいの書生で辛道度という者ですが、金がなくなって食事に困っております、御主人にお願いして食事をさせていただきたいのですが、お願いしてくれませんか」
黄金の枕 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
隴西ろうせい李徳逢りとくほうという男は当年二十五歳の青年で、馬にり、弓をひくことが上手で、大胆な勇者として知られていましたが、こういう人物の癖として家業にはちっとも頓着せず
「迦葉尊者は鶏足に袈裟を守って閉じ籠る」という和讃わさんあれば、本邦では普通鶏足山に入定すとしたのだ。支那にも『史記』六に〈始皇隴西ろうせい北地を巡り、鶏頭山に出で、回中を過ぐ〉とある。
「いや彼は隴西ろうせいの産だ」
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「——魏の大将、郭淮かくわい、孫礼の二軍が、隴西ろうせいの軍馬を領して、北原ほくげんへ進出し、何事かすあらんとするものの如く動いています」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その使いとしてやって来たのが、はからずも李陵りりょう故人とも隴西ろうせい任立政じんりっせいら三人であった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
隴西ろうせい李生りせいという若い男があった。名は徳逢とくほう、年は二十五、剛胆な生れで、馬にり、弓を射るのが得意であったが生産を事としないので、郷党の排斥を受けて、何人たれも相手になってくれる者がない。
申陽洞記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
隴西ろうせい諸郡の敵はことごとく掃討しましたが、蜀の兵馬はなお漢中に留っています。必ずしもこれで魏の安泰が確保されたものとはいえません。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
龐徳と馬岱とは、途中、馬超とも別れ別れになってしまい、遠く隴西ろうせい地方を望んで敗走したが、それと知って、曹操は自身
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忽然こつぜんと、蒙古もうこ高原にあらわれて、胡夷えびすの猛兵をしたがえ、隴西ろうせい甘粛省かんしゅくしょう)の州郡をたちまちり奪って、日に日に旗を増している一軍があった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ともあれ、隴西ろうせいの州郡は、ほっとしてもとの治安をとりもどした。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)