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金米糖
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こんぺいたう
ふりがな文庫
“
金米糖
(
こんぺいたう
)” の例文
お茶の相手をしたのは女房のお峯ですが、それは
金米糖
(
こんぺいたう
)
か何かを一粒口に入れただけで、生菓子は食べなかつたと自分で言つて居ります。
銭形平次捕物控:034 謎の鍵穴
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
主婦
(
かみさん
)
は
家
(
うち
)
の内でも手拭を冠り、藍染真綿を亀の甲のやうに着て、茶を出すやら、座蒲団を勧めるやら、
金米糖
(
こんぺいたう
)
は古い皿に入れて
款待
(
もてな
)
した。
破戒
(新字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
「いえ、
今日
(
こんにち
)
は
拠
(
よんどころ
)
ないことで急ぎますから、
御囘向
(
ごゑかう
)
は
後
(
あと
)
でなすつて下さい……
塔婆
(
たふば
)
をお立てなすつて、どうぞ
御囘向
(
ごゑかう
)
を願ひます」「
畏
(
かしこま
)
りました」と茶を入れて
金米糖
(
こんぺいたう
)
か
何
(
なに
)
かを出します。
塩原多助旅日記
(新字旧仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
終
(
しまひ
)
には銀さんも私も逃げてばかり居たものですから、
金米糖
(
こんぺいたう
)
を褒美に呉れるから叩けとか、按摩賃を五厘づゝ遣るから頼むとか言ひました。
幼き日:(ある婦人に与ふる手紙)
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
伯父
(
をぢ
)
さんの
金米糖
(
こんぺいたう
)
に
勵
(
はげ
)
まされて、
復
(
ま
)
た
父
(
とう
)
さんも
石
(
いし
)
ころの
多
(
おほ
)
い
山坂
(
やまさか
)
を
登
(
のぼ
)
つて
行
(
い
)
きましたが、そのうちに
日
(
ひ
)
が
暮
(
く
)
れかゝりさうに
成
(
な
)
つて
來
(
き
)
ました。
ふるさと
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
▼ もっと見る
お
猿
(
さる
)
さん、これは
祖母
(
おばあ
)
さんがおせんべつに
呉
(
く
)
れてよこしたのです。
途中
(
とちう
)
で
退屈
(
たいくつ
)
した
時
(
とき
)
におあがりと
言
(
い
)
つて、
祖母
(
おばあ
)
さんが
呉
(
く
)
れてよこした
金米糖
(
こんぺいたう
)
です。
ふるさと
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
わたしはこれから
東京
(
とうきやう
)
へ
修業
(
しうげふ
)
に
行
(
ゆ
)
くところですが、この
棧橋
(
かけはし
)
まで
來
(
く
)
るうちに、
金米糖
(
こんぺいたう
)
も
大分
(
だいぶ
)
すくなくなりました。
ふるさと
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
“金米糖(
金平糖
)”の解説
金平糖(こんぺいとう、コンペイトー)とは、砂糖と下味のついた水分を原料にした、表面に凹凸状の突起(角状)をもつ小球形の和菓子。
金米糖、金餅糖、糖花とも表記される。語源はポルトガル語のコンフェイト(confeito kõˈfɐjtu、糖菓の意)。金平糖はカステラ・有平糖などとともに南蛮菓子としてポルトガルから九州や西日本へ伝えられたとされる。初めて日本に金平糖が伝わった時期については諸説あるが、戦国時代の1546年(天文15年)とも言われている。
(出典:Wikipedia)
金
常用漢字
小1
部首:⾦
8画
米
常用漢字
小2
部首:⽶
6画
糖
常用漢字
小6
部首:⽶
16画
“金米”で始まる語句
金米