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ととく
ふりがな文庫
“
都督
(
ととく
)” の例文
丹陽の
都督
(
ととく
)
に、
嬀覧
(
ぎらん
)
という者がある。同じ怨みを抱く
郡丞
(
ぐんじょう
)
の
戴員
(
たいいん
)
と、ついにこういう肚を合わせ、ひそかに
対手
(
あいて
)
の出入りをうかがっていた。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
石田は司令部から
引掛
(
ひきがけ
)
に、師団長はじめ上官の家に名刺を出す。その頃は
都督
(
ととく
)
がおられたので、それへも名刺を出す。中には面会せられる
方
(
かた
)
もある。
鶏
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
北平の
李譲
(
りじょう
)
、
梁明
(
りょうめい
)
等
(
ら
)
、
世子
(
せいし
)
を奉じて防守甚だ
力
(
つと
)
むと
雖
(
いえど
)
も、景隆が軍
衆
(
おお
)
くして、将も
亦
(
また
)
雄傑なきにあらず、
都督
(
ととく
)
瞿能
(
くのう
)
の如き、
張掖門
(
ちょうえきもん
)
に殺入して
大
(
おおい
)
に威勇を奮い、城
殆
(
ほとん
)
ど破る。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
長史
(
ちょうし
)
楊大将
(
ようたいしょう
)
、
都督
(
ととく
)
長勲
(
ちょうくん
)
をはじめとして、
紀霊
(
きれい
)
、
橋甤
(
きょうずい
)
、
雷薄
(
らいはく
)
、
陳闌
(
ちんらん
)
——といったような歴々がのこらず顔をそろえていた。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
長興侯
(
ちょうこうこう
)
耿炳文
(
こうへいぶん
)
を大将軍とし、
李堅
(
りけん
)
、
寧忠
(
ねいちゅう
)
を
副
(
そ
)
えて北伐せしめ、又
安陸侯
(
あんりくこう
)
呉傑
(
ごけつ
)
、
江陰侯
(
こういんこう
)
呉高
(
ごこう
)
、
都督
(
ととく
)
都指揮
(
としき
)
盛庸
(
せいよう
)
、
潘忠
(
はんちゅう
)
、
楊松
(
ようしょう
)
、
顧成
(
こせい
)
、
徐凱
(
じょがい
)
、
李文
(
りぶん
)
、
陳暉
(
ちんき
)
、
平安
(
へいあん
)
等
(
ら
)
に命じ、諸道並び進みて
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
わが
夫
(
つま
)
を殺した者は、辺洪ということになっているが、
妾
(
わらわ
)
は信じません。真の下手人は、
都督
(
ととく
)
嬀覧です。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
盛庸等之を破る。帝
都督
(
ととく
)
僉事
(
せんじ
)
陳瑄
(
ちんせん
)
を遣りて
舟師
(
しゅうし
)
を率いて庸を
援
(
たす
)
けしむるに、
瑄却
(
かえ
)
って燕に
降
(
くだ
)
り、舟を
具
(
そな
)
えて迎う。燕王乃ち
江神
(
こうじん
)
を祭り、師を誓わしめて江を渡る。
舳艫
(
じくろ
)
相
(
あい
)
銜
(
ふく
)
みて、
金鼓
(
きんこ
)
大
(
おおい
)
に
震
(
ふる
)
う。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
呉の水軍
都督
(
ととく
)
周瑜
(
しゅうゆ
)
は、この夜、放火艇の突入する後から、堂々と、大船列を作って、烏林、赤壁のあいだへ進んできたが、味方の有利と見るや、さらに、陸地へ迫って、水陸の両軍を励ましていた。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
見ると、刀を横たえた
都督
(
ととく
)
嬀覧
(
ぎらん
)
だった。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“都督”の解説
都督(ととく)は、中国の官職または称号。三国時代に現れ、軍政を統轄した。また4世紀 - 6世紀には、中国と外交関係を持つ近隣諸国・諸民族の君主・臣下に授与される称号の一部としても用いられた。
(出典:Wikipedia)
都
常用漢字
小3
部首:⾢
11画
督
常用漢字
中学
部首:⽬
13画
“都督”で始まる語句
都督府断事