謙信けんしん)” の例文
弘治こうじ三年(一五五七)七月、越後えちごのくに春日山かすがやまの城中では、いま領主うえすぎ謙信けんしんを首座として、信濃しなのへ出陣の軍議がひらかれていた。
城を守る者 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
十三世通天和尚つうてんわせうは、 霜台君さうたいくんの(謙信けんしんの事)親藉しんせきにて、高徳かうとくの聞えは今も口碑うはさにのこれり。 景勝君かげかつくんも此寺にものまなび玉ひしとぞ。
ひそかに、拙者は、北越ほくえつ謙信けんしんをもって任じ、徳川どのは、まさに当代の信玄しんげんにも比すべき人物と信じておるんじゃ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諏訪法性すはほつしやうかぶとかぶつた、信玄しんげん猩々しやう/″\の如き頭へ斬り付けようとしてゐる謙信けんしんの眼は、皿のやうに眞んまるく、振り上げた刀は馬よりも長くて、信玄の持つてゐる軍配ぐんばいは細く弱さうで
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
その末期まつごことばに、一四〇当時信長は一四一果報いみじき大将なり。我平生つねかれあなどりて征伐を怠り、一四二此のやまひかかる。我が子孫もやがかれほろぼされんといひしとなり。謙信けんしんは勇将なり。
十三世通天和尚つうてんわせうは、 霜台君さうたいくんの(謙信けんしんの事)親藉しんせきにて、高徳かうとくの聞えは今も口碑うはさにのこれり。 景勝君かげかつくんも此寺にものまなび玉ひしとぞ。
すなわちあれが能登のとの半島、また、うしろに見える山々は、白馬はくば戸隠とがくし妙高みょうこう赤倉あかくら、そして、武田家たけだけしのぎをけずった謙信けんしんの居城春日山かすがやまも、ここよりほど遠からぬ北にあたっておる
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
越後の上杉謙信けんしんにまで、遠くげきをとばして、援助を求めた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この正月を迎えて、謙信けんしんは、ことし三十三とはなった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
謙信けんしんとくりゅう 大道寺友仙だいどうじゆうせん上杉家うえすぎけ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)