しょう)” の例文
孝孺おおいに数字を批して、筆を地になげうって、又大哭たいこくし、かつののしり且こくして曰く、死せんにはすなわち死せんのみ、しょうは断じて草す可からずと。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
あくる日、しょうは、上清宮の神扉しんぴ深きところの、宸翰しんかん箱にまつり封ぜられ、式を終って、夜は一山の大饗宴だいきょうえんに移った。精進しょうじん料理ばかりのお山振舞ぶるまいである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法華寺、詳しくは法華滅罪之寺は大倭やまと国分尼寺こくぶんにじで、光明皇后の熱信から生まれたものらしい。天平十三年にしょうが出ているから当時すぐ造営がはじまったとしても皇后はもう四十を超えていられた。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
受禅じゅぜん(皇位譲渡の式)もなく、上皇のしょうもなく、また神器もここにありませんが、尊氏は剣です、良基よしもと(二条関白)は(印)です。これを神器とすればよろしい」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「この上は、ぜひもない、勅願のしょうを、上清宮じょうせいぐうの本殿に納め奉って、一日もはやく、都へ帰ろう」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われはこれ、天子のしょうをうけ、魏の直命を奉じて、汝を征伐に来た者である。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、勇躍、しょうを拝して、かつて見ぬほどな大軍備をととのえた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もちろん、朝廷からは、数度におよぶしょうも勅使もくだっている。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
玄徳は、城を出て迎え、しょうを拝して、後に、諸臣にはかった。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しょうをささげて退がって来た。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しょうを拝すと、孔明は
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
改銭ノしょう