親炙しんしゃ)” の例文
小説のことでは伸子も間接に影響をうけている須田猶吉に親炙しんしゃして、婦人の作家に珍しく装ったところのない作風を認められていた。
二つの庭 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
いや、どういたしまして、あなた方の超凡なお動静に、朝夕親炙しんしゃいたしておれば、宗舟平凡画師も、大家の企て及ばぬ自然の粉本ふんぽん
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
私が「埋字」のことなどを申し上げたのもこの古人の句に親炙しんしゃする、もっとも卑近な方法の一つを申し上げた次第なのであります。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ティボーに親炙しんしゃせる人たちは、ティボーの口を通して、カサルスに対する尊敬推服の言葉を一再ならず聴かされた筈である。
他にも尊いラマは沢山あるように承りましたけれども、とにかく私の親炙しんしゃして教えを受け殊に敬服したのはこの方であった。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
その方から見れば先生に親炙しんしゃした人達が見ると、そういう乱暴な行為は不思議であると思うほどである。
かように、一つの言葉にても、むつかしきものにござれば、われらのごとき、幼少よりオランダ人に朝夕親炙しんしゃいたしおる者にても、なかなか会得いたしかねてござる。
蘭学事始 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
田辺太一たなべたいちに啓発せられて英学に志し、中浜万次郎、西吉十郎にしきちじゅうろう等を師とし、次で英米人に親炙しんしゃし、文久中仏米二国に遊んだ。成善が従学した時は三十三歳になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
年少より秘かに敬愛していた先生に昼夜親炙しんしゃすることを得たのは、僕の生涯の喜びであり、つぶさにその間、僕は先生を観察し、その言行を毎日微細にノートしてきた。
同居人荷風 (新字新仮名) / 小西茂也(著)
井上唖々ああ氏等二三子を除く外は、誰も先生に親炙しんしゃすることが出来なかつたから、そのために尚私は遠慮勝ちになつたのだが、小山内氏の場合は大いに事情が違つてゐた。
青春物語:02 青春物語 (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そのためにこの文明の利器に親炙しんしゃする好機会をみすみす取り逃がしつつ、そんなこだわりなしにおもしろそうに聞いている田舎いなかの人たちをうらやまなければならなかった。
蓄音機 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
晩年には益々ますます老熟して蒼勁そうけい精厳を極めた。それにもかかわらず容易に揮毫きごうの求めに応じなかった。ことに短冊へ書くのが大嫌いで、日夕親炙しんしゃしたものの求めにさえ短冊の揮毫は固く拒絶した。
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
この学校は中学の内にてもっともあらたなるものなれば、今日の有様にて生徒の学芸いまだ上達せしにはあらざれども、その温和柔順の天稟てんぴんをもって朝夕英国の教師に親炙しんしゃし、その学芸を伝習し
京都学校の記 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
親炙しんしゃする機会に蓬著したわけである。
もっともよく蕪村に親炙しんしゃした点においては几董に似ていますが、俳句の技倆からいったら几董以上といってもいいかと思います。
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
連合いといっても、俗に枕添まくらぞいのことではない。吾人は道庵先生に親炙しんしゃすること多年、まだ先生に糟糠そうこうの妻あることを知らない。
その後私は駆け出しの新聞記者として、晩年の大記者黒岩先生に幾度か親炙しんしゃし、再びその作物の魅力に引ずられ、三十幾年の長い間、甚だ不熱心ながらも研究と蒐集を続けて来た積りである。
涙香に還れ (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
これは一つは、与八が道庵先生に親炙しんしゃしている機会に、見よう見まねに習得した賜物たまものと見なければなりません。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
世の常の人が偉人に親炙しんしゃしていると、ついれてその偉大を感じないといったように、これだけの山楽を傍に置きながら、山楽とも思わないで、心なき寺の人が
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)