袢天はんてん)” の例文
その茶店の前の往来へ、例の袢天はんてんとどてらのあいが出て、やにだらけの歯をあらわにさらしながらしきりに自分を呼んでいる。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
袢天はんてんの袖に、カガシのように手を通しながら、漁夫が段々を上ってきて、ハッチから首を出した。首を出したまま、はじかれたように叫んだ。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
あおるように車台が動いたり、土工の袢天はんてんすそがひらついたり、細い線路がしなったり——良平はそんなけしきをながめながら、土工になりたいと思う事がある。
トロッコ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
姉は其頃そのころ何んでも二十二三であった。まだ児供こどもがなく自分を大へんに可愛がってくれたのだ。自分が姉を見上げた時に姉は白地の手拭を姉さんかぶりにして筒袖の袢天はんてんを着ていた。
守の家 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
袢天はんてんも帽子もドロドロにし
炭坑長屋物語 (新字新仮名) / 猪狩満直(著)
皆はものも云えず、そのままゾロゾロタラップを下りて行った。「分った、分った」口の中でブツブツ云いながら、塩ぬれのドッたりした袢天はんてんを脱いだ。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
床几しょうぎが二尺ばかり往来へみ出した上から、二三足草鞋わらじがぶら下がって、袢天はんてんだか、どてらだか分らない着物を着た男が背中をこちらへ向けて腰を掛けている。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
薄暗いすみの方で、袢天はんてんを着、股引ももひきをはいた、風呂敷を三角にかぶった女出面でめんらしい母親が、林檎りんごの皮をむいて、棚に腹んいになっている子供に食わしてやっていた。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
或る晩もその用で内幸町まで行って留守をったのでやむを得ずまた電車で引き返すと、偶然向う側に黄八丈きはちじょう袢天はんてんで赤ん坊をおぶった婦人が乗り合せているのに気がついた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
真中に印袢天しるしばんてんを着た男が、立つとも坐るとも片づかずに、のらくらしている。今までも泥の中へ何度も倒れたと見えて、たださえ色の変った袢天はんてんがびたびたにれて寒く光っている。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
馬は泡を吹いた口を咽喉のどりつけて、とがった耳を前に立てたが、いきなり前足をそろえてもろに飛び出した。その時栗毛の胴が、袢天はんてんを着た男の提灯ちょうちんかすめて、天鵞絨びろうどのごとく光った。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それから二人でベンチへ隣り合せに腰を掛けていると、だんだん停車場ステーションへ人が寄ってくる。大抵は田舎者いなかものである。中には長蔵さんのような袢天はんてんけんどてらを着た上に、天秤棒てんびんぼうさえかついだのがある。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)