はなぶさ)” の例文
前述、野尻抱影氏からのお手紙の端にも「——小生ははなぶさ町の生れで、本名は正ふさ、小学校は初め太田小学校でした。おテイちゃんとは同窓です」
彼はまたの名を扇遊とも云って、はなぶさ一蝶とは親友であったが、人を殺した事さえある胆の太い兇悪な男である。
紅白縮緬組 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
聞いてたけり立ち悶絶もんぜつして場外にかつぎ出されるクサンチッペはなぶさ太郎君のあとを追うて
初冬の日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
否、むしろ追々すさんで行くのであつた。折角せっかく、精出して仕立てたはなぶさを片はしからむしつて歩く日もあつた。隠居所の扉を閉め切つて、外の景色に眼をふれまいとするやうな日もあつた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
客「然うでしょう、少し声がしゃがれてるし、一中節いっちゅうぶしったろう、あのーなにを唄ったろう……あれは端物はものだがいゝねえ、はなぶさちょう其角きかくさんをしたという、吉田の兼好法師の作の徒然草を」
この女はどこか、はなぶさ百合子に似ていて、肌の美しい女だった。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「道純敬啓。御出立の砌は参上、得拝眉、大慶不過之候。御清寧、御道中種々珍事可有之、奉恭羨候。廿日より傷寒論講釈相始候処、諸君奇講甚面白し。輪講の順は星順にて、長短に拘らず一条づつ各講ず。書余後便万々。不具。副啓。さんぬる十七日万笈堂主人頓死。」はなぶさ平吉の死んだ日と
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
南には、すぐ南太田小学校の校舎が望まれ、普門院というお寺やら、はなぶさ町、霞町などという静かな町並の生垣がつづき、もすこし行くと初音町に出る。
すると、座敷の隅の方で、其角きかくを相手に話し込んでいたはなぶさ一蝶が坊主頭を、半兵衛の方へ振り向けたが
紅白縮緬組 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
金の目貫めぬきはなぶさちょうの下絵を宗珉そうみんが彫りました銘作でございます。
名は記憶にないが、相手はぼくらより一学級上で、はなぶさ町の焼芋屋の息子だった。二度も落第していたので、小ツブなぼくなどよりはるかに大きかった。
忠「医者の字は読めぬね、なんですえ、あきらかのたかどのはなぶさの」
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)