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田原町
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たわらまち
ふりがな文庫
“
田原町
(
たわらまち
)” の例文
田原町
(
たわらまち
)
の
経師屋
(
きょうじや
)
東作
(
とうさく
)
、四十年輩の気のきいた男ですが、これが描き菊石の東作といわれた、
稀代
(
きたい
)
の兇賊と知る者は滅多にありません。
銭形平次捕物控:075 巾着切りの娘
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
このものの口ききで
田原町
(
たわらまち
)
三丁目喜左衛門の店に寺小屋を開いて、ほそぼそながらもその日のけむりを立てることになったが……。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
田原町
(
たわらまち
)
の角に新聞売が鈴を
鳴
(
なら
)
しているのを見て、重吉は銅貨をさがし出して、『
毎夕
(
まいゆう
)
新聞』に『国民』の夕刊をまけさせた。
ひかげの花
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
てめえで感心していやがらあ。日本橋の呉服町に京屋と清谷といううちが二軒、浅草の
田原町
(
たわらまち
)
に原丸という家が一軒、つごう三軒がいま江戸で京金襴ばかりを
右門捕物帖:22 因縁の女夫雛
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
あいつがまだ浅草
田原町
(
たわらまち
)
の親の家にいた時分に、公園で
見初
(
みそ
)
めたんだそうだ。こう云うと、君は
宮戸座
(
みやとざ
)
か
常盤座
(
ときわざ
)
の馬の足だと思うだろう。ところがそうじゃない。
片恋
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
▼ もっと見る
吾妻橋
(
あずまばし
)
を渡って
田原町
(
たわらまち
)
から東本願寺へ
突当
(
つきあた
)
って右に曲り、それから裏手へまいり、
反圃
(
たんぼ
)
の
海禅寺
(
かいぜんじ
)
の前を通りまして
山崎町
(
やまざきちょう
)
へ出まして、上野の
山内
(
さんない
)
を抜け、谷中門へ出て
菊模様皿山奇談
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
二人は曙館
萬歳座
(
まんざいざ
)
の前を通って寿司屋横丁を過ぎ、
田原町
(
たわらまち
)
の電車停留場迄脇眼も振らずに歩んで参りましたが、其処に客待ちして居る自動車を呼び寄て素早やく其の内に姿を隠して了いました。
陳情書
(新字新仮名)
/
西尾正
(著)
それから雷門に向って左の方は
広小路
(
ひろこうじ
)
です。その広小路の区域が
狭隘
(
きょうあい
)
になった辺から
田原町
(
たわらまち
)
になる。それを出ると本願寺の
東門
(
ひがしもん
)
がある。まず雷門を中心にした浅草の区域はざっとこういう風であった。
幕末維新懐古談:11 大火以前の雷門附近
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
田原町
(
たわらまち
)
の
蛇骨
(
じゃこつ
)
長屋のそばに千鳥という小料理屋がある。
廿九日の牡丹餅
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
その家は公園から
田原町
(
たわらまち
)
の方へ抜ける狭い横町であったがためだという話である。観客から
贔屓
(
ひいき
)
の芸人に贈る
薬玉
(
くすだま
)
や
花環
(
はなわ
)
をつくる造花師が
入谷
(
いりや
)
に住んでいた。この人も三月九日の夜に死んだ。
草紅葉
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
浪人して
暫
(
しばら
)
く
六間堀
(
ろっけんぼり
)
辺に居りました其の
中
(
うち
)
は、蓄えもあったから
何
(
ど
)
うやら其の日を送って居りましたが、
行
(
ゆ
)
き詰って文治の裏長屋へ
引越
(
ひきこ
)
し、毎日弁当をさげては浅草の
田原町
(
たわらまち
)
へ内職に参ります。
業平文治漂流奇談
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
広小路
(
ひろこうじ
)
を
田原町
(
たわらまち
)
へ出て
蛇骨
(
じゃこつ
)
長屋。
つづれ烏羽玉
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
田
常用漢字
小1
部首:⽥
5画
原
常用漢字
小2
部首:⼚
10画
町
常用漢字
小1
部首:⽥
7画
“田原”で始まる語句
田原藤太
田原
田原坂
田原本
田原栄作
田原藤太秀郷