田原町たわらまち)” の例文
田原町たわらまち経師屋きょうじや東作とうさく、四十年輩の気のきいた男ですが、これが描き菊石の東作といわれた、稀代きたいの兇賊と知る者は滅多にありません。
このものの口ききで田原町たわらまち三丁目喜左衛門の店に寺小屋を開いて、ほそぼそながらもその日のけむりを立てることになったが……。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
田原町たわらまちの角に新聞売が鈴をならしているのを見て、重吉は銅貨をさがし出して、『毎夕まいゆう新聞』に『国民』の夕刊をまけさせた。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
てめえで感心していやがらあ。日本橋の呉服町に京屋と清谷といううちが二軒、浅草の田原町たわらまちに原丸という家が一軒、つごう三軒がいま江戸で京金襴ばかりを
あいつがまだ浅草田原町たわらまちの親の家にいた時分に、公園で見初みそめたんだそうだ。こう云うと、君は宮戸座みやとざ常盤座ときわざの馬の足だと思うだろう。ところがそうじゃない。
片恋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
吾妻橋あずまばしを渡って田原町たわらまちから東本願寺へ突当つきあたって右に曲り、それから裏手へまいり、反圃たんぼ海禅寺かいぜんじの前を通りまして山崎町やまざきちょうへ出まして、上野の山内さんないを抜け、谷中門へ出て
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
二人は曙館萬歳座まんざいざの前を通って寿司屋横丁を過ぎ、田原町たわらまちの電車停留場迄脇眼も振らずに歩んで参りましたが、其処に客待ちして居る自動車を呼び寄て素早やく其の内に姿を隠して了いました。
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
それから雷門に向って左の方は広小路ひろこうじです。その広小路の区域が狭隘きょうあいになった辺から田原町たわらまちになる。それを出ると本願寺の東門ひがしもんがある。まず雷門を中心にした浅草の区域はざっとこういう風であった。
田原町たわらまち蛇骨じゃこつ長屋のそばに千鳥という小料理屋がある。
廿九日の牡丹餅 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その家は公園から田原町たわらまちの方へ抜ける狭い横町であったがためだという話である。観客から贔屓ひいきの芸人に贈る薬玉くすだま花環はなわをつくる造花師が入谷いりやに住んでいた。この人も三月九日の夜に死んだ。
草紅葉 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
浪人してしばら六間堀ろっけんぼり辺に居りました其のうちは、蓄えもあったからうやら其の日を送って居りましたが、き詰って文治の裏長屋へ引越ひきこし、毎日弁当をさげては浅草の田原町たわらまちへ内職に参ります。
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
広小路ひろこうじ田原町たわらまちへ出て蛇骨じゃこつ長屋。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)