牢死らうし)” の例文
その後お糸は牢死らうしし、金次郎は越後屋の跡を立てたと聽きましたが、お糸の痛々しい惱ましさ、いひやうもない魅力が、長く八五郎の記憶にこびり附いて居りました。
同人悴道之助 其方儀實父じつぷ道十郎事牢死らうしいたし候後母光の養育を請候より追々おひ/\成長に及び候處幼弱えうじやくの身に之ありながら日頃より母に孝養かうやうつくし罷り在其身は母の助けに相成べくと毎日晴雨せいう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
つけられしかども一旦中山殿奉行所にて裁許さいきよの有りし事件ことがらなれば何と無く斟酌しんしやく有て暫時しばらくかんがへ居られしが又猶申さるゝは其折道十郎なる者吟味づめに相成りしわけには之なく牢死らうししたる故其儘に成りをりしなり存生ぞんしやうならば外に吟味の致し方も有りしならんしかるに只今の一言奉行所の不行屆ふゆきとゞきの樣に上の御政度せいど
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
天のせるわざはひは猶去可し自からせる禍ひはさく可からずとは雖も爰に寶永はうえい七年九月廿一日北の町奉行中山出雲守殿いづものかみどのの掛りにて奸賊かんぞく村井長庵が惡計に陷入おちいり遂にはむじつ横難わうなんに罹り入牢じゆらうし果は牢死らうしに及びぬる彼道十郎はもと吉良家きらけ藩士はんしなる岩瀬舍人いはせとねりとて御近習へ出仕し天晴武文も心懸有し者なりしが不※した事の譯柄わけがらにて今は浪人となり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)