洛内らくない)” の例文
許都へ来ては、諸将は各〻の営寨えいさいにわかれ帰って、平常の服務につき、関羽は、洛内らくないに一館をもらって、二夫人をそこへ住まわせた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鉢たたきというのは京都の空也念仏くうやねんぶつの僧が瓢箪ひょうたんをたたいて冬の間夜になると洛内らくない
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
俊寛もまた、ばくをうけて、洛内らくないを引きまわされ、あらゆるはずかしめと、平氏の者のつばを浴びせられて、鬼界ヶ島へ流されてしまった——
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家康は将軍職を退き、この春の三月には二代将軍を継承した秀忠ひでただが、御礼おんれいのため上洛するのであろうと、洛内らくないは景気立っている。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利義輝よしてるがまだ室町将軍として健在であった頃から、すでに医として、道三の名は洛内らくないに高く、その寵遇もうすくなかった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしこういう毀誉褒貶きよほうへんを気にかける司馬懿でもない。彼は彼として深く信ずるものあるが如く、折々、悠々と朝に上り、また洛内らくないに自適していた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それを戦機として、水色桔梗ききょうの九本旗は、三旗ずつ三部隊にわかれ、七条口を突破して、中町の木戸木戸を踏みやぶり、いちどに洛内らくないへ混み入った。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洛内らくないはこの不安なうわさで、ほこりが黄いろくみなぎっていた。諸国の信徒に、不穏な行動でもないかと、官の駅伝は、諸街道へ向けて、国司こくしへ早馬を送っていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その後また、よく洛内らくないの侍たちの間で噂にのぼる宮本武蔵なる新進の剣士が、むかし友達の「武蔵たけぞう」であることを知ると、又八はじっとしていられなかった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どこにし、どこに食を得ていたか、ここ数日の範宴はんえんの所在はわからなかったが、あれから叡山えいざんへは帰っていないことと、洛内らくないにいたことだけは確実である。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
師を討たれながら、武蔵をして、洛内らくないを横行させて、だまっておられる各〻の気もちがわしには分りません
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ならば、なおのこと、都合がよい。おまえに駄賃をやるが、洛内らくないまで一走り、使いに行ってくれないか」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
輿の従者たちがとがめ返すと、蔵六は、家法の陣中薬を、東条の城へ献納のために来たと答え、洛内らくないの商民である自分らとしては、せめてこういうことでもするしか
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洛内らくない十二門路、九条のみちみちの口、さそくにかためて、きっと、狂者盛遠を、からめられよ——
赤穂退散後、内蔵助が永住の地ときめたかのように、世間へ見せかけて買入れた山科の家に、ひとまず、旅装を解き、やがてそれぞれ、洛内らくないの自分の住居すまいに落着いたのであった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(なるほど、これは洛内らくないでも諸国の町でも、いちど見たら見た者が皆、もてはやすわけだ)
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう白い星が洛内らくないにまたたいている。僕は振りかえって、八大神社のうしろを見た。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝のいっときは、夜のままみな戸をおろして、死の街かのように、ひっそりしていた洛内らくないの市民も、やがてひる近くには、いちどに往来へ出はじめて、大路小路こうじの辻々には、かならず人が群れているし
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ただならぬ空の赤さ。何事か洛内らくないに異変があるぞ」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清盛は、洛内らくないの屋根の一つにひとみをこらした。