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東漸
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とうぜん
ふりがな文庫
“
東漸
(
とうぜん
)” の例文
その海外知識はまた、宗教を通じ、美術を通じ、鉄砲を通じ、織物や陶器や
自鳴鐘
(
とけい
)
を通じて——日に月に
滔々
(
とうとう
)
と
東漸
(
とうぜん
)
して来た時でもあった。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
私は画の方は心得がないから、
何
(
なん
)
とも申しかねるが、あれは仏国の現代の風潮が
東漸
(
とうぜん
)
した結果ではないでしょうか。とにかく、画でも詩でも文でも構わない。
文芸の哲学的基礎
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
今や日本の中世的な封建制度はヨーロッパ人の
東漸
(
とうぜん
)
とともに消滅せざるを得ない時となって来ている、それを見抜いたのが前公使のアールコックであり、また
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
殆どこれと同じ時代に葡萄牙人は東方を領土と心得てその方角に進み、
亜弗利加
(
アフリカ
)
に国旗を建て、なお
東漸
(
とうぜん
)
して印度に渡り、遂に比律賓群島を占領し、この群島を東の島と名づけた。
東西相触れて
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
その霊は鴎外の残るくまなき記述によって、定めし目を
醒
(
さま
)
して、西欧文物の
東漸
(
とうぜん
)
の昔をしのんでいることであろう。鶴見はそこが
波羅葦僧
(
ハライソ
)
の浄土であらんことを、切に願っている。
夢は呼び交す:――黙子覚書――
(新字新仮名)
/
蒲原有明
(著)
▼ もっと見る
維昔
(
むかし
)
天孫豊葦原を鎮め給いしより、文化
東漸
(
とうぜん
)
し、今や北海
辺隅
(
へんぐう
)
に至る迄億兆
斉
(
ひと
)
しく
至仁
(
じじん
)
の
皇沢
(
こうたく
)
に浴せざるものなし。我が一家亦世々其恵を受け、祖先の勤功と父母の労苦とに由り今日あるを致せり。
関牧塲創業記事
(新字新仮名)
/
関寛
(著)
洋学の
東漸
(
とうぜん
)
ここに
定
(
さだ
)
まりて
青年
(
せいねん
)
の
徒
(
と
)
はなべて
競
(
きほ
)
ひき
つゆじも
(新字旧仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
この時を境として
観
(
み
)
ても、時代はあきらかな推移を告げていたのだ。文化は
駸々
(
しんしん
)
と進んでいる。西力——
南蛮船
(
なんばんせん
)
による文化の
東漸
(
とうぜん
)
は——火薬、鉄砲などの武器に大変革を起していたのである。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「狭く考えるな。善いも悪いも、
一括
(
いっかつ
)
されて、舶載されて来るのが、文化の特質だ。低きへ水のつくように。ここ当分は、とうとうと西洋南洋からいろいろ雑多に入って来るだろう。いまやそれの
東漸
(
とうぜん
)
は止まらない勢いにある」
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“東漸”の意味
《名詞》
文化や勢力などが次第に東方へ進むこと。
(出典:Wiktionary)
東
常用漢字
小2
部首:⽊
8画
漸
常用漢字
中学
部首:⽔
14画
“東”で始まる語句
東
東京
東雲
東風
東山
東寺
東南
東屋
東方
東路