本能寺ほんのうじ)” の例文
しかし、本能寺ほんのうじへんとどうじに、異国いこく宣教師せんきょうしたちは信長というただひとりの庇護者ひごしゃをうしなって、この南蛮寺も荒廃こうはいしてしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
馬をとばして浦戸うらどの城へかけつけた使者によって、右大将信長が、京都本能寺ほんのうじ明智光秀あけちみつひでのためにほろぼされたことが、元親につたえられた。
だんまり伝九 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
つづいて十一月には一番目『太功記たいこうき馬盥ばだらいより本能寺ほんのうじ討入まで団洲だんしゅう光秀みつひで菊五郎春永はるながなり中幕団洲の法眼ほうげんにて「菊畑きくばたけ」。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
あるいはいわく、敵は本能寺ほんのうじにありというわけで、源十郎はこのおふくろをちょろまかして、それからおいおいお艶を手に入れようと、今日もこうしておさよに暖かそうな、小袖か何か着せて
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
しかし敵は本能寺ほんのうじにある。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
このときまだ送る者も送られる将士も、この出陣が、中国進攻の門出ではなく、本能寺ほんのうじく一歩のものであったことを。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まずちょっとおもいだしたところでも、春早々そうそう甲斐かい武田たけだほろぼされ、六月には、信長のぶなが本能寺ほんのうじ焼打やきうちにあった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのうちに——天正十年五月、上洛中の主君信長が、叛臣はんしん光秀みつひでのために、本能寺ほんのうじで討たれた。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
暁からの本能寺ほんのうじの煙が、まだ太陽のおもてに墨を流しているうちに、凶乱きょうらんの張本人、光秀の名と、信長の死は、極度な人心の愕きに作用されて、かなり遠方まで、国々の耳をつらぬいて行った。
十三のころ、手づるを求めて、安土あづちのお城へ御奉公にあがりましたが、天正十年、信長さまが本能寺ほんのうじで、あえない御最期をおとげ遊ばしてから、安土もほろんでしまったので、田舎へ帰っておりました
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
誰か、この朝から半年後の本能寺ほんのうじの変を予知することができようか。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本能寺ほんのうじの焼けあとにも、やなぎがあおいをふいた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本能寺ほんのうじの由にござりまする」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本能寺ほんのうじ界隈かいわい
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)