憂愁ゆうしゅう)” の例文
悟空には、嚇怒かくどはあっても苦悩はない。歓喜はあっても憂愁ゆうしゅうはない。彼が単純にこの生を肯定こうていできるのになんの不思議もない。
わたしは自分を、幸福だと思っていたわけではない。現に家を出た時も、思うさま憂愁ゆうしゅうにひたりに行くつもりだったのである。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
また「秋の歌」のうちで「白くくる夏を惜しみつつ、黄にやわらかき秋の光を味わわしめよ」といって人生の秋の黄色い淡い憂愁ゆうしゅうを描いている。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
だが、もっと悲劇的な憂愁ゆうしゅうたたえた人柄ひとがらを想像していたのに、極めて快活で人には剽軽ひょうきんらしいところを見せ、出迎えの連中の中での花形になっていた。
みちのく (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それが今は憂愁ゆうしゅうとなり、ほんとうの悲痛となり、いくたびかかれの目に涙を浮かばせたほどのはんもんとなった。
じつは無に帰したものの遣瀬やるせない憂愁ゆうしゅう、抑えに抑えつけられた絶望なのだと、ひとしきりそんなことを考えた。
イオーヌィチ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
少しく仰山ぎょうさんに言いますと、娘が恋慕の情はにわかに恐怖の情と憂愁ゆうしゅうの情に変って、それでは自分の母が死んだのではないか知らんという考えを起したです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
静かな深い憂愁ゆうしゅうが、ロシア十九世紀文学の特質を成していることは、今さら言うまでもなく周知の事実です。
「はつ恋」解説 (新字新仮名) / 神西清(著)
ふわふわとどこまでもなぎさ彷徨さまよっていたが、夜の海の憂愁ゆうしゅうにも似た思いに沈みがちな彼女とは、全く別の世界に住んでいるような、相手が相手なので、何か飽き足りなそうであった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そのはげしい語気にかれて杉本は思わず「なるほどなあ」と声をあげ、検査用紙をばさりと閉じてしまった。すると、川上忠一の痩せとがった顔がもう全然別な憂愁ゆうしゅうおおわれていた。
白い壁 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
その唄の節はひどく秋めいた、憂愁ゆうしゅうのこもったものであった。私は何度となく熱い茶をすすりながら、手紙を出す機会をねらっていたが、与一はいつまでもその淋し気な唄を止めなかった。
清貧の書 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
折ふしここに、御主人の憂愁ゆうしゅうを開く人があらわれた。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お前はまるで、この宇宙のあらゆる財宝を、ひとりめにしているかのようだ。憂愁ゆうしゅうでさえ、お前にとってはなぐさめだ。悲哀ひあいでさえ、お前には似つかわしい。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)