シン)” の例文
日想観において観じ得た如来の姿を描くとすれば、西方海中に没しようとする懸鼓の如き日輪を、シンにして写し出す外はない。
山越しの阿弥陀像の画因 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
日想觀において觀じ得た如來の姿を描くとすれば、西方海中に沒しようとする懸鼓の如き日輪を、シンにして寫し出す外はない。
山越しの阿弥陀像の画因 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
日想觀において觀じ得た如來の姿を描くとすれば、西方海中に沒しようとする懸鼓の如き日輪を、シンにして寫し出す外はない。
山越しの弥陀 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
唯旧来のものは、暗愚な色気をシンにして動いてゐるのだが、其をもつとイソしい精神的な美しさに綜合したものだつたのである。
永代橋をシンにして見れば、あのいかつさも、無愛敬も正しいものであらう。が、力点を富吉町に置いて考へると、あの二場で性格に豹変がある。
合邦と新三 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
自分すら忘れきつた、彼の人の出來あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髓のシンまでも、唯りつけられたやうになつて、殘つてゐるのである。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
自分すら忘れきつた、彼の人の出來あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髓のシンまでも、唯りつけられたやうになつて、殘つてゐるのである。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
自分すら忘れきつた、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髄のシンまでも、唯りつけられたやうになつて、残つてゐるのである。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
而も其上の飾り物は、神を迎へるシルシの作り物である。食物の中に立てた松のシンも、単純なつまではなかつた。標の木を一つ/\の盛り物に立てたのである。
まれびとの歴史 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
即、祭られるべき神髄になるものを持つてゐるものを意味する語である。たとへば実身(サネミ)といふ風に逆に言つても、身のシンと言ふのと同じである。
日琉語族論 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
シンになるものを考へる。其が、神自体であつても、神以外のものであつても、さうした点に、深い顧慮のない所から出発して、その語の宿命的な意義が定まる。
日琉語族論 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
作者博士に対して、シンから敬意を見せて居たのは、重だつた役々の中では、此人ばかりと思はれました。
芝居に出た名残星月夜 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
だが、小崎・八幡の蜑よりも古く、住み着いた者の後が、シンになつてゐることは断言出来る。結局、壱岐の海部の占ひは、唯書物の上だけの事になつて了うたのである。
雪の島:熊本利平氏に寄す (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
むざねと言ふのは、語原的には身実ムサネ身真ムサネなど宛てゝよい語で、シンになつてゐるからだ・からだのシンなどと訳してよいだらう。正身シヤウミ・本体など言へば、近代的にもわかる。
日琉語族論 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
金田一京助先生は、手の抜け易い事を、草人形クサヒトガタ変化ヘンゲであるからだ、と説明して居られた。藁人形などの手は、皆シンは、竹や木である。草を絡んだ一本の棒を両手としてゐる。
河童の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
さうして、此呪言の神聖な来歴を語る呪言以外に附加せられた部分が、第一義ののりとであつたらしく、其シンになつてゐるものが、古くはよごとを以て総称せられて居たのだ。
微かな風のおとなひの如きものが、彼の心の独りを保たしめるシンになつて行つたのである。
市村羽左衛門論 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
曾我夜討をシンに書き替へたものらしく、中村七三郎など主演俳優その他の名も伝へてゐる。これはさうありさうなことで、「物見車」だつて一部分曾我で、脇筋を立てゝゐるのだ。
由良助の成立 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
茎立クヽタちは草の若茎と考へられ易いが、木の萌え立ちのシンの末になる部分だらう。
万葉集研究 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
時に鼻のシンを辛くさせるのがひゆうまにちいだといふ位のことしか判断の出来なかつた八百八街の、罪も報いもない市民の生活が極めてまじめに、だが、思ひがけない形に漫画化せられて出て来る
草双紙と講釈の世界 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
建築に関係のない斎柱イムハシラ(忌柱とも書く。大神宮の正殿のシンの柱)
古代人の思考の基礎 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)