年歯とし)” の例文
旧字:年齒
死んだ人のうちには、御爺さんも御婆さんもあるが、時には私よりも年歯としが若くって、平生からその健康を誇っていた人もまじっている。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
我儘わがままな一人息子は、年歯とし三十にして初めて自活——それもファニイとその子供迄養う決心をして、英国を飛出した。父子の間は音信不通となった。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
邯鄲淳はこのとき年歯としわずかに十三歳で、筆をってこの文を作し、一字も訂正しなかったと申します。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そりゃ御父さんの三十もおれの三十も年歯としに変りはないかも知れないが、周囲ぐるりはまるで違っているんだからそうは行かないさ。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
けれども年歯としの違だか段の違だか、松本の云う事は肝心かんじんの肉を抜いた骨組だけを並べて見せるようで、敬太郎けいたろうの血の中まで這入はいり込んで来て
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
年歯としより早く老けた。年歯より早く干乾ひからびた。そうして色沢いろつやの悪い顔をしながら、死ににでも行く人のように働いた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
年歯としを取ってからの初産ういざんだったので、当人もはたのものも大分だいぶ心配した割に、それほどの危険もなく胎児を分娩ぶんべんしたが、その子はすぐ死んでしまった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
自分は老師のこの言葉を聞いた時、なるほど若く見えるはずだと合点がてんが行った。実をいうと今まで腹の中では老師の年歯としを六十ぐらいに勘定かんじょうしていた。
初秋の一日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼らはみんな一つ腹から生れた姉弟きょうだいですけれども、この姉とKとの間には大分だいぶ年歯としの差があったのです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
年歯としの六つほど下な百合子の小供らしい心理状態を観察したお延は、それをうまく利用しようと試みた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
是は彼がゲツチンゲンで修業してゐるころで、年歯としにすると二十二三の時のことである。(つゞく)
点頭録 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
私は両親の晩年になってできたいわゆるすえである。私を生んだ時、母はこんな年歯としをして懐妊するのは面目ないと云ったとかいう話が、今でも折々はかえされている。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
二人の生活はわずかのしか続かなかった。物質的の欠乏が源因になったのか、または御常の再縁が現状の変化を余儀なくしたのか、年歯としの行かない彼にはまるで解らなかった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「でも岡本さんにゃ自分の年歯としを計る生きた時計が付いてるから、まだよいんです。あなたと来たらなんにも反省器械はんせいきかいを持っていらっしゃらないんだから、全く手に余るだけですよ」
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私とはだいぶ年歯としが違うので、兄弟としての親しみよりも、大人おとな対小供としての関係の方が、深く私の頭にんでいる。ことにおこられた時はそうした感じが強く私を刺戟しげきしたように思う。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)