“小谷(おだに)” の例文
ひろい小谷(おだに)の地を三分して、一劃(かく)ごとに一城を築き、長政はその三の曲輪(くるわ)にたて籠(こも)っていた。小谷城とは、三城あわせた総称である。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長の違約を怒(いか)って、こんな表裏反覆の信長のことだから、越前よりの帰りがけには、きっと此の小谷(おだに)城へも押し寄せて来るに違いない。
姉川合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ふとしたことから小谷(おだに)のお城へ御奉公を取り持ってくれるお人がござりまして、そのおかたの肝(きも)いりであの御城中へ住み込むようになったのでござります。
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
わたくしの家は小谷(おだに)と申しまして、江戸時代から代々の医師でございました。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それから三上山(みかみやま)、近江富士ともいう、田原藤太が百足(むかで)を退治したところ——浅井長政の小谷(おだに)の城、七本槍で有名な賤(しず)ヶ岳(たけ)。うしろへ廻って見給え、これが胆吹の大岳であることは申すまでもあるまい。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それをもって、この地方一円の敵を抑え、小谷(おだに)へ進撃している味方の本軍に、後ろの憂いのないようにしていなければならない。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
始め、小谷(おだに)の城主浅井長政に嫁し、二男三女を挙げたが、後、織田対朝倉浅井の争いとなり、姉川に一敗した長政が、小谷城の露と消えた時、諭(さと)されて、兄信長の手に引取られた事がある。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
小谷(おだに)の城の落ちた年からすでに十年になるが、お市の方はまだまだほんとうに美しかった。年も三十四、五でしかない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤吉郎秀吉(ひでよし)は、北近江(きたおうみ)の小谷(おだに)の城から一小隊の部下と、小荷駄(こにだ)すこしを率(ひき)いて、きょう岐阜に着いた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八月の末、二十五、六日の頃には、信長はもう北近江(きたおうみ)の小谷(おだに)をかこむ虎御前山(とらごぜやま)の陣地へ、帰っていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あの駕籠(かご)のうちにおいでなされますのは、ご城主さまの奥方小谷(おだに)の方(かた)さまでいらっしゃいます」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
といわせもはてず、小谷(おだに)の方(かた)のうるわしい頬(ほお)へピラピラッと四、五本の針がふき刺(さ)さった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
石弥(いしや)が立ち、一同がちりかけると、そのとき、四十九間(けん)の長廊下(ながろうか)を、かけみだれてくる人々! 小谷(おだに)の方(かた)をまっ先に、局(つぼね)侍女(こしもと)など奥の者ばかり、めいめい鞘(さや)をはらった薙刀(なぎなた)をかかえ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
去年、北陸攻略の終った後、秀吉は小谷(おだに)の城から、長浜の城に移っていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)