富田とんだ)” の例文
ひるごろ茨木いばらきに着き、小憩しょうけいのあいだに、秀吉は諸方の情報を聞きあつめ、また前進をつづけ、茨木と高槻たかつきの中間、富田とんだに陣営をさだめた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「せくな。神代直人が斬ろうと狙ったら、もうこっちのものじゃ。そんなにとこいそぎせんでもええ。——富田とんだ丸公たまこう
流行暗殺節 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
芸妓は富田とんだ屋、花魁は島原、油絵描きはパリに幾人にしてそれでおしまいという事にならぬとは限らない。
油絵新技法 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
その富田とんだ屋の里栄さとえは、つて地唄の『雪』を舞つた。仏蘭西の象徴派詩人の作にあるやうな、幽婉いうゑんな、涙ぐましいこの曲の旋律は、心もち面窶おもやつれのしたをんなの姿に流れてしなやかな舞振まひぶりを見せた。
和歌山県西牟婁むろ郡北富田とんだ村庄川に牛屋谷という滝がある。
富田とんだを離れるや否、高山隊二千余は、もう眼のまえに敵軍を見ているようなはやさで驀進ばくしんし出した。中川瀬兵衛以下、二番手の勢も、その馬煙を望んで
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
芸妓は富田とんだ屋、花魁は島原、油絵描きはパリに幾人にしてそれでおしまいという事にならぬとは限らない。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
富田とんだしょうは、美濃尾張のあいだにある一向僧こうそう坊主領ぼうずりょうであった。戸数七百ほどの村落で、正徳寺しょうとくじという寺院がある。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ために、富田とんだの浦は血に赤く、河原は鬼哭啾々きこくしゅうしゅうとして、無残というもおろかなこと、長く、渭之津いのつの城に怪異妖聞かいいようぶんやむことを知らず、という結果になりました
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きのう秀吉の本軍が富田とんだ大塚附近まで進出すると、麾下きかの諸将はみなまッ先に、この山に目をそそいでいた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いちど、むこどのの顔みたい。——双方より出向いて、富田とんだの国境で、むこしゅうとの初対面げたいが」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初の御拝姿ごはいしは、今より十年前、富田とんだ正徳寺しょうとくじにおいて、わが故主、斎藤道三山城守様と、聟舅むこしゅうとのお出会いをなされました——その折、お供のうちに加わって、あれが尾張の信長殿かと
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時々、かれは馬をすすめて、富田とんだ附近の山から、合戦を見ていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ここか。富田とんだしょうとやらは、はやここの村かッ」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)