宗像むなかた)” の例文
けれどまた、まもないうちに、尊氏以下が、えぶりの一寺を出て、宗像むなかたへ急進中——と聞いたときには、やや意外そうな顔いろだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
シッ……その事じゃ。あの増長者奴のぼせめが、一昨年の夏、あの宗像むなかた大島の島司とうしになっているうちに、朝鮮通いの薩州藩の難船を助けて、船つくろいをさせた上に、病人どもを
名君忠之 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
帰途さらに宗像むなかた郡大島の富豪佐藤大作とも謀って、すっかり計画が成り、早速連島から見本を兼ねた綿と糸を積んで国臣も乗込んで、第一船を竹崎に乗りつけたのが
志士と経済 (新字新仮名) / 服部之総(著)
会ってくれた重役の宗像むなかたさんは御繁忙中を迷惑がりもせずに、如何にも懐しそうに言った。養父は退っ引きならないところへ差向けたのらしい。そこは銅の会社だった。
秀才養子鑑 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
朝家の法制にもかつて天神地祇ちぎを分たれたが、のちの宗像むなかた賀茂かも・八幡・熊野・春日かすが住吉すみよし諏訪すわ白山はくさん鹿島かしま香取かとりのごとく、有効なる組織をもって神人を諸国に派し
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
筑後三瀦みぬま郡は、古い水沼氏の根拠地であった。この名を称えた氏は、幾流もあったようである。宗像むなかた三女神を祀った家は、その君姓の者と伝えているが、後々は混乱しているであろう。
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
殉死を願って許された十八人は寺本八左衛門直次なおつぐ、大塚喜兵衛種次たねつぐ、内藤長十郎元続もとつぐ、太田小十郎正信、原田十次郎之直ゆきなお宗像むなかた加兵衛景定かげさだ、同吉太夫きちだゆう景好かげよし、橋谷市蔵重次しげつぐ、井原十三郎吉正よしまさ、田中意徳
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
一三 以上の三女神は福岡縣の宗像むなかた神社の神。
宗像むなかたにいた所縁の者が、逃げて来たが、それの話によれば、尊氏の一勢は、宗像ではつかのま休息しただけで、ひた急ぎに、西へ急いでいたと申す」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「夕涼になってからだろう。しかし世間体は別荘地物色ということにしてある。工場が出来るなんて言うと宗像むなかたや安藤が騒ぎ出すからね。君もその積りでいてくれ給え」
村の成功者 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
この方面においては、北は津軽の十三潟じゅうさんがた、秋田の八郎潟から、南は筑紫つくし香椎かしい潟、宗像むなかたに及んでいる。北国においては、ガタとはまた平地の湖を意味する普通名詞である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
唐津、名護屋なごや怡土いと城、太宰府、水城みずき宇美うみ筥崎はこざき多々羅たたら宗像むなかた、葦屋、志賀島しかのしま残島のこのしま、玄海島、日本海海戦の沖の島なんて見ろ、屈辱外交の旧跡なんて薬にしたくもないから豪気だろう。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
これ一つでなく、尊氏はその日に戦功のあった大友へも島津へも、また宗像むなかた、龍造寺、松浦、草野の諸党の将へも、それぞれ、なにかのかたちで賞をやった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同時に私等は、宗像むなかた神与じんよ村の八並やつなみから筥崎はこざきへ移転して来た。
父杉山茂丸を語る (新字新仮名) / 夢野久作(著)
宗像むなかたさん初め幹部の人と相談して返事をくれるそうだ」
秀才養子鑑 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
同 宗像むなかた郡 2
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
と重役の宗像むなかたさんは考え込んだ後
秀才養子鑑 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)