安倍晴明あべのせいめい)” の例文
陰陽博士おんやうはくしで聞えた安倍晴明あべのせいめいの後裔が京都の上京かみぎやうに住んでゐる。ある時日のかたいそあしで一条戻り橋を通りかゝると、橋の下から
この歌が安倍晴明あべのせいめいの母だというくずの葉の狐の話と、同じものだということは誰にも分りますが、那須の方は子供のことをいっておりません。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
またあるとき義家よしいえとき大臣だいじん御堂殿みどうどののお屋敷やしきへよばれて行きますと、ちょうどそこには解脱寺げだつじ観修かんしゅうというえらいぼうさんや、安倍晴明あべのせいめいという名高なだか陰陽師おんみょうじ
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
又保胤の父の忠行は後の人の嘖々さくさくとして称する陰陽道のだい験者げんざ安倍晴明あべのせいめいの師であったのである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
播磨守泰親は陰陽博士おんようはかせ安倍晴明あべのせいめいが六代の孫で、天文亀卜きぼく算術のおさとして日本国に隠れのない名家である。その人の口からお前には怪異が憑いていると占われて、千枝松はいよいよ怖ろしくなった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そのときちょうど奈良ならからはつもののうりを献上けんじょうしてました。めずらしい大きなうりだからというので、そのままおぼんにのせて四にんのおきゃくまえしました。するとまず安倍晴明あべのせいめいがそのうりを手にのせて
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)