孝経こうきょう)” の例文
「寺子屋で孝経こうきょうの話でもするような、そんなやぼなことを云うのはよそうじゃないか、それとも、——今夜はその手ではぐらかそうというつもりか」
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
益々力を入れて八歳の時には弘道館述義と、詩経しきょうの一部と、易経えききょうの一部を教えて下すったものであるが、孝経こうきょうは、どうしたものか教えて下さらなかった。
父杉山茂丸を語る (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「それでは、二三日来てみなさるがいい。最初から大学や孝経こうきょうでもあるまいから、庭訓往来ていきんおうらいでもやりましょう」
竹中半兵衛を師として、あしたには論語、孝経こうきょうなどの講義が開かれ、昼は、槍術や太刀を励みあい、夜はくるまでをかかげて、半兵衛は、孫呉そんごの軍学を説いた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「孝順に在家出家の別あり。在家は孝経こうきょう等の説を守つて、生につかへ死につかふること、世人皆知れり、出家は恩をすてゝ無為に入る故に、恩を報ずること一人に限らず」
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
これ故人こじんの忠告が不足なるにもあらず、『孝経こうきょう』の悪いのでもない。ひたすら自分が訓戒あるいは忠告を理解するの力なく、これを受けれる襟度きんどのなかったためである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
けん一は、ただ、その厚情こうじょう感謝かんしゃしました。かれ負傷ふしょうしたことを故郷こきょうおやにも、老先生ろうせんせいにもらさなかったのです。孝経こうきょうなか身体髪膚受之父母しんたいはっぷこれをふぼにうく不敢毀傷孝之始也あえてきしょうせざるはこれこうのはじめなり。と、いってあった。
空晴れて (新字新仮名) / 小川未明(著)
孝経こうきょうにはどうあるとか、心学ではこううたっているとか、からのたれそれはどうしたとか、読んだとも聞き覚えたともわからない話や、妙な歌などをむやみに並べたて
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ことわざにいうごとく、親が存命ぞんめいで孝行する機会のあるときに孝道の教訓を聞いても、なに分かりきったこと、百も承知と思いながらおこたるが、親無きあとで『孝経こうきょう』を読みかえすと
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
孝経こうきょう』が曾子と孔子との問答として作られていることは、曾子の学者としての影響を語るものであろう。右に引いた句においても、「習わざるを伝うるか」という反省は教師としてのものである。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
わざわざのこって「孝経こうきょう」をおしえていられたのです。
空晴れて (新字新仮名) / 小川未明(著)
孝経こうきょう」であった。日野民部ひのみんぶの講学が終ると
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)