存生ぞんしょう)” の例文
お秋は女でこそあれ、なかなかのしっかり者で、亭主の存生ぞんしょう当時よりも商売を手広くして、料理番と若い者をあわせて五、六人を使っている。
半七捕物帳:61 吉良の脇指 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「さてはお手前は鳥谷先生のおわすれがたみでござったか。老先生とは御存生ぞんしょうの折、そこここの雅会でお目にかかったこともござったが——」
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
いえ十六年あと親父おやじが行方知れずになって、今に死んだか生きたか知れない、音も沙汰もねえでございますが、ひょっと親父が存生ぞんしょうで帰った時は
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
祖母としよりは、その日もおなじほどの炎天を、草鞋穿わらじばきで、松任まっとうという、三里隔った町まで、父が存生ぞんしょうの時に工賃の貸がある骨董屋こっとうやへ、勘定を取りに行ったのであった。
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
こは父君存生ぞんしょうの頃よりつねに二、三百の金はかしおきたる人なる上、しかも商法手広く表をうる人にさへあれば、はじめてのこととて無情なさけなくはよもとかゝりしなり。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
かくして、相互の思わくは、相互の間の秘密としてほうむられてしまった。兄は存生ぞんしょう中にこの意味をひそかに三千代に洩らした事があるかどうか、其所そこは代助も知らなかった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
武智麻呂存生ぞんしょうの頃から、此屋敷のことを、世間では、南家なんけと呼び慣わして来ている。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
「そうそう、大阪表におった頃、そういう話を阿波殿の口からも聞いたことがある。そのために、十一年余りも、この上の洞窟に封じ込まれている甲賀世阿弥、あれはまだ存生ぞんしょうでいるのか」
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父の存生ぞんしょう中から、出入りしている重松という日本橋の時計屋が来ていた。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「見忘れはしませぬ幼顔おさながお、お前の親御孝藏殿によく似ておいでだよ、そうして大層立派におなりだねえ、お前がお父様とっさまの跡を継いで、今でもお父様はお存生ぞんしょうでいらッしゃるかえ」
父が存生ぞんしょうの頃は、毎年、正月の元日には雪の中を草鞋穿わらじばきでそこにもうずるのに供をした。
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
七八ななやここのツばかり、母が存生ぞんしょうの頃の雛祭ひなまつりには、毛氈もうせんを掛けた桃桜ももさくらの壇の前に、小さな蒔絵まきえの膳に並んで、この猪口ちょこほどな塗椀ぬりわんで、一緒にしじみつゆを替えた時は、この娘が、練物ねりもののような顔のほかは
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
平「親父はまだ存生ぞんしょうか」