大津絵おおつえ)” の例文
旧字:大津繪
ときに叔父上、あなたもめっきりお年をとりましたな、そうしてションボリと文机のまえに坐っているところなんざ、まさに大津絵おおつえの鬼の念仏。
丁度大津絵おおつえとか泥絵どろえとかいうものの如く、即ちゲテモノとしての面白味であって、偶然、非常に面白いものがあり、また非常に下等なものがあるのです
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
針屋、そろばん屋、陶器すえもの屋、その隣には鬼の念仏の絵看板、かね撞木しゅもくをもって町の守り神のように立っているかどは、大津絵おおつえをひさぐ室井半斎むろいはんさいの店である。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
氏は国民の団結を造りて、これが総代となり、時の政府に国会開設の請願をなし、諸県に先だちて民衆の迷夢を破らんとはなしぬ。当時母上のたわむれに物せし大津絵おおつえぶしあり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
板額はんがくは門破り、荒木又右衛門は関所を破る、常磐御前とここの城主はわが子のために、大事な操と陰嚢ふんぐり破ると、大津絵おおつえどころか痛い目をしてわれとわが手で両丸くり抜いた。
椿岳のいわゆる浅草絵というは淡島堂のお堂守をしていた頃の徒然つれづれのすさびで、大津絵おおつえ風の泥画である。多分又平の風流に倣ったのであろう。十二枚袋入がたった一朱であった。
例えば金地襖きんじぶすまの彩画は貴族的な絵ですが、大津絵おおつえの如きは「民画」とも呼ぶべくいわば民間の画です。民家、民器、民画、私はそれ等のものを総称して「民藝」と呼ぼうと思います。
民芸とは何か (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
都々逸どゞいつ三下さんさがり、大津絵おおつえなどを、いきな節廻しで歌われると、子供ながらも体内に漠然と潜んで居る放蕩の血が湧き上って、人生の楽しさ、歓ばしさを暗示されたような気になります。
幇間 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そうそう際限も無く空想は展開するはずがない。やがては大津絵おおつえのごとく人間の姿態を写し出そうとする者に、その練熟した自在の手法を譲って、消えてしまったのもまた自然である。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
浮世絵木板摺の技術は大津絵おおつえの板刻に始まり、菱川師宣ひしかわもろのぶの板画および書籍挿画さしえに因りて漸次に熟練し、鳥居派初期の役者絵いづるに及びて益〻ますます民間の需要に応じ江戸演劇と相並あいならびて進歩発達せるなり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大津絵おおつえ。弁慶。丈二尺一寸、巾七寸五分。紙。筆者蔵(現在、日本民藝館蔵)。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
椿岳は芳崖ほうがい雅邦がほうと争うほどな巨腕ではなかったが、世間を茶にしてなぐった大津絵おおつえ風の得意の泥画は「おれの画は死ねば値が出る」と生前豪語していた通りに十四、五年来著るしく随喜者を増し
万年青流行のことは当時の俗謡大津絵おおつえにもうたわれている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
民画の美を代表する大津絵おおつえを見られよ(本書「挿絵について」挿絵第二十三図)。そのよどみなき筆の走りと、活々いきいきした生命とは、いかに多くいかに早くいかに単純にえがいたかを語るではないか。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)