城崎きのさき)” の例文
城崎きのさきの町は、山陰線が北上して、日本海の海岸へ出ようとする一里ばかり手前で、西へ折れてゐる、其曲り角の處に當つてゐる。
そういう古いお住まいの一つが、山陰道さんいんどう城崎きのさき温泉からそんなに遠くない瀬戸せと日和山ひよりやまの上にもあります。瀬戸神社がそれです。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
昔は豊岡を城崎きのさきといい、今の城崎の方は湯島といっていた。少なくも私の子供のころは湯島という名を耳にしたものである。
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
おもはず慄立よだてたのは、さく十四年じふよねん五月ごぐわつ二十三日にじふさんにち十一時じふいちじ十分じつぷん城崎きのさき豐岡とよをか大地震おほぢしん大火たいくわ號外がうぐわいると同時どうじであつた。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
但馬の城崎きのさき温泉の近くではなはだ有名なる玄武洞げんぶどうの玄武岩は『笈埃きゅうあい随筆』巻二の石匠の条には、土人これを竹繰石たけくりいしあるいは滝繰石ともいうと記している。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
間もなく私達は震災後の建物らしい停車場に着いて、眼に觸れるもの皆新規まき直しであるやうな温泉地の町の中に自分等を見つけた。そこが城崎きのさきであつた。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
城崎きのさきの町の直ぐ東を可なり大きな河が流れてゐる。圓山川といふ名だ。珍らしく滿々と水を漲らしてゐた。
百人一首ひやくにんいつしゆのおぢやうさんの、「いくののみち」もそれか、と辿たどつて、はる/″\と城崎きのさきで、佐渡さどおきふねんで、キラリと飛魚とびうを刎出はねだしたから、きたなくもおびやかされたのである。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
曾て山陰地方への旅をして、城崎きのさきに近い瀬戸の日和山からも、香住の岡見公園からも、浦富、出雲浦等の海岸からも、あるひは石見いはみ高角山たかつのやまからも日本海を望み見た。
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
いまは、やなぎめぐんだであらう——城崎きのさきよ。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
但馬たじま城崎きのさき郡新田村大字立野字鐘タタキ
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
京都から福知山を經て城崎きのさきの間を往來した昔は、男の脚で四日、女の脚ならば五日路といつたものであると聞く、大阪からするものは更にそれ以上に日數を費したであらう。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
但馬たじま城崎きのさき余部あまるべ村大字余部字水ゴロ
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
一 大阪より城崎きのさき
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)