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城崎
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きのさき
ふりがな文庫
“
城崎
(
きのさき
)” の例文
城崎
(
きのさき
)
の町は、山陰線が北上して、日本海の海岸へ出ようとする一里ばかり手前で、西へ折れてゐる、其曲り角の處に當つてゐる。
山陰の風景:――歌になるところ――
(旧字旧仮名)
/
木下利玄
(著)
そういう古いお住まいの一つが、
山陰道
(
さんいんどう
)
の
城崎
(
きのさき
)
温泉からそんなに遠くない
瀬戸
(
せと
)
の
日和山
(
ひよりやま
)
の上にもあります。瀬戸神社がそれです。
力餅
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
昔は豊岡を
城崎
(
きのさき
)
といい、今の城崎の方は湯島といっていた。少なくも私の子供のころは湯島という名を耳にしたものである。
故郷七十年
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
と
思
(
おも
)
はず
身
(
み
)
の
毛
(
け
)
を
慄立
(
よだ
)
てたのは、
昨
(
さく
)
、
十四年
(
じふよねん
)
五月
(
ごぐわつ
)
二十三日
(
にじふさんにち
)
十一時
(
じふいちじ
)
十分
(
じつぷん
)
、
城崎
(
きのさき
)
豐岡
(
とよをか
)
大地震
(
おほぢしん
)
大火
(
たいくわ
)
の
號外
(
がうぐわい
)
を
見
(
み
)
ると
同時
(
どうじ
)
であつた。
城崎を憶ふ
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
但馬の
城崎
(
きのさき
)
温泉の近くではなはだ有名なる
玄武洞
(
げんぶどう
)
の玄武岩は『
笈埃
(
きゅうあい
)
随筆』巻二の石匠の条には、土人これを
竹繰石
(
たけくりいし
)
あるいは滝繰石ともいうと記している。
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
▼ もっと見る
間もなく私達は震災後の建物らしい停車場に着いて、眼に觸れるもの皆新規まき直しであるやうな温泉地の町の中に自分等を見つけた。そこが
城崎
(
きのさき
)
であつた。
山陰土産
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
城崎
(
きのさき
)
の町の直ぐ東を可なり大きな河が流れてゐる。圓山川といふ名だ。珍らしく滿々と水を漲らしてゐた。
山陰の風景:――歌になるところ――
(旧字旧仮名)
/
木下利玄
(著)
百人一首
(
ひやくにんいつしゆ
)
のお
孃
(
ぢやう
)
さんの、「いくのの
道
(
みち
)
」もそれか、と
辿
(
たど
)
つて、はる/″\と
來
(
き
)
た
城崎
(
きのさき
)
で、
佐渡
(
さど
)
の
沖
(
おき
)
へ
船
(
ふね
)
が
飛
(
と
)
んで、キラリと
飛魚
(
とびうを
)
が
刎出
(
はねだ
)
したから、きたなくも
怯
(
おびや
)
かされたのである。
城崎を憶ふ
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
曾て山陰地方への旅をして、
城崎
(
きのさき
)
に近い瀬戸の日和山からも、香住の岡見公園からも、浦富、出雲浦等の海岸からも、あるひは
石見
(
いはみ
)
の
高角山
(
たかつのやま
)
からも日本海を望み見た。
桃の雫
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
今
(
いま
)
は、
柳
(
やなぎ
)
も
芽
(
めぐ
)
んだであらう——
城崎
(
きのさき
)
よ。
城崎を憶ふ
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
但馬
(
たじま
)
城崎
(
きのさき
)
郡新田村大字立野字鐘タタキ
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
京都から福知山を經て
城崎
(
きのさき
)
の間を往來した昔は、男の脚で四日、女の脚ならば五日路といつたものであると聞く、大阪からするものは更にそれ以上に日數を費したであらう。
山陰土産
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
但馬
(
たじま
)
城崎
(
きのさき
)
郡
余部
(
あまるべ
)
村大字余部字水ゴロ
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
一 大阪より
城崎
(
きのさき
)
へ
山陰土産
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
城
常用漢字
小4
部首:⼟
9画
崎
常用漢字
小4
部首:⼭
11画
“城崎”で始まる語句
城崎関弥