吉良きら)” の例文
ごうの北に八ツ面山おもてやまというのがある。そこから雲母きららを産するので、遠い昔からこの地方を、吉良きらあがたとよび、吉良の庄とも唱えてきたのじゃ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戦時中、防空壕の掩蓋えんがいになっていた吉良きらの雑倉の小屋根に風穴があくと、係長と刑事が後先になって地下室へ入って行った。
我が家の楽園 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
義士等が吉良きらの首を取るまでには、長い長い時間が掛かった。この時間は私がまだ大学にいた時最も恐怖すべき高等数学の講義を聴いた時間よりも長かった。
余興 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
三河には足利将軍家の次の格式をもつ吉良きら氏が落ちぶれて有名無実の存在となっていた。今川氏の世話をうけていたが、今川よりも一ツ格式は上の名家であった。
梟雄 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
鍛冶橋かじばし内の吉良きらの邸で、不機嫌な顔を据えた上野介の前に、扇箱が一つ、ちょこなんと置いてあった。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
槌は只今藁を打ったり土を砕いたり専ら農工の具で、大高源吾が吉良きら邸の門を破ったり、弁慶が七つ道具に備えたりくらいは芝居で見及ぶが、専用の武器とは見えず。
吉良きられ上野、首無しの段、あわわわわ、話をして、うだっちまった。頭がふらふらすらあ」
寺坂吉右衛門の逃亡 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
我々が吉良きら殿を討取って以来、江戸中に何かと仇討あだうちじみた事が流行はやるそうでございます。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
かの吉良きら邸の絵図面を盗まんとして四十七士中の第一の美男たる岡野金右衛門が、色仕掛の苦肉の策を用いて成功したという故智こちにならい、美男と自称する君にその岡野の役を押しつけ
未帰還の友に (新字新仮名) / 太宰治(著)
吉良きらの屋敷跡の松坂町を横に見て、一つ目の橋ぎわへ行き着いて、相生町一丁目のお俊の家をたずねると、それは竹本駒吉という義太夫の女師匠の隣りであると教えてくれた者があった。
半七捕物帳:67 薄雲の碁盤 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「君、教頭の野郎は、正に吉良きらのような奴だよ」
首切り問答 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「俺は、俺はな、吉良きら兵曹長」
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
吉良きらの殿様よい殿様
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
織田長益と滝川雄利かつとしとが、吉良きら狩猟場かりばまで家康を追いかけてゆき、そこで、必死の弁をこころみた最後交渉も、全然、家康から一蹴されて——
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉良きら、今川、仁木にっき、乙川、西尾の諸党、みなそれである。わけて一色党の一色刑部はなかでも重きをなしていた。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の父一色刑部ぎょうぶは健在であり、近郷の吉良きら、今川などの同族とならんで、古くから隠然たる半農半武士的な根づよい地盤を三河一色ノ郷にかためている。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
で、それらのお人を連れ出して、どこか途中で出会うべき打ちあわせが必要だった。そのため、吉良きら、細川の二将は別れて、急遽、鎌倉へ駈けもどった。
あたりには、彼のほか、吉良きら宮内大夫貞家、仁木四郎義長、武田孫五郎時風、長井大膳、河越高重など、手負いは多いが、数十の部将がいる。それらもまた
義貞の一族、新田左馬助義氏の軍が、ふいに三河を襲ッて、吉良きらノ庄から一色郡のあたりを荒しまわった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今川家は当代の名族でわするぞ。足利将軍の統、もしお世継よつぎのなき時は、三河の吉良きら氏が継ぎ、吉良氏に人のなき時は、御当家今川家から立つことになっておる。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よすがいい。時来たれば、会わせてやる。——三河一色、吉良きら、今川、その他、あの地方には足利家の同族が、さとを接して、びっしりと住み合うておる。和子の行く末を
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉良きら狩猟場かりばまで家康を追って行って、衷心ちゅうしんからいたことも、家康が、常になく、こぶしに据えたたかにたとえて、一戦も辞せず——と大言したことも、かくすべきではないと思って、その通り
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉良きらへ、お鷹狩たかがりに——」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)