しゅつ)” の例文
すみ屋七郎兵衛の北の方は安南王族げん氏のしゅつで、安南では権勢を持っているということなので、破船の取得しゅとくを願いあげた。
呂宋の壺 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
この時抽斎の家族は父允成、妻岡西氏徳、尾島おじましゅつの嫡子恒善つねよし、比良野氏しゅつの長女純の四人となっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
其証は孔子の御子は伯魚一人りで、幵官氏のしゅつただ一人いちにん、其他に伯魚の弟、妹というものは無かったのでござる、又孔子が継室を迎えられた、それは何氏であったということも
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
つね日頃より貴族のしゅつを誇れる傲縦ごうしょうのマダム、かの女の情夫のあられもない、一路物慾、マダムの丸い顔、望見するより早く、お金くれえ、お金くれえ、と一語は高く、一語は低く
創生記 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「たとえこちらがいのちなくともその身に付そいしゅつせいをいたさせ候間」などと云う文句が見え、何をしてはならぬ、をしてはならぬと、いろいろと案じ過してさとしている中にも、面白いのは
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
抽斎の子にして父にさきだって死んだものは、尾島氏のしゅつ長男恒善つねよし、比良野氏の出馬場玄玖げんきゅう妻長女いと、岡西氏の出二女よし、三男八三郎、山内氏の出三女山内とう、四男幻香、五女癸巳きし
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
墓誌に三子ありとして、恒善、優善、成善の名が挙げてあり、また「一女平野氏ひらのうじしゅつ
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)