“元慶”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
ぐわんぎやう60.0%
げんけい40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
元慶ぐわんぎやうの末か、仁和にんなの始にあつた話であらう。どちらにしても時代はさして、この話に大事な役を、勤めてゐない。
芋粥 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
○清和天皇の貞観元年御年十五にて御元服、同四年文章生もんじやうせいあげられ、下野の権掾ごんのじやうにならせらる。同十四年御年廿八御母伴氏ともうぢ身まかり玉ひ、 陽成天皇やうぜいてんわう元慶ぐわんぎやう四年八月晦日御父是善卿ぜぜんきやうも身まかり玉へり。
五百羅漢を彫った当羅漢寺の創建者である松雲元慶げんけい禅師の観音もありましたこと故、私の修業時代は、本所の五ツ目の五百羅漢寺といえば、東京方面における唯一ゆいつの修業場であって
陽成帝ようぜいてい元慶げんけいの五年五月には、在原行平ありわらのゆきひらが、奨学院しょうがくいんという学校を新たにおこしたが、そのときに、物部斯波もののべのしなみ連永野むらじのながのという二名の史生が、折から上洛中の陸奥みちのくの民の代表者をつれて来て、講堂で
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)