“文章生”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
もんじやうせい50.0%
もんじょうせい50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
○清和天皇の貞観元年御年十五にて御元服、同四年文章生もんじやうせいあげられ、下野の権掾ごんのじやうにならせらる。同十四年御年廿八御母伴氏ともうぢ身まかり玉ひ、 陽成天皇やうぜいてんわう元慶ぐわんぎやう四年八月晦日御父是善卿ぜぜんきやうも身まかり玉へり。
○清和天皇の貞観元年御年十五にて御元服、同四年文章生もんじやうせいあげられ、下野の権掾ごんのじやうにならせらる。同十四年御年廿八御母伴氏ともうぢ身まかり玉ひ、 陽成天皇やうぜいてんわう元慶ぐわんぎやう四年八月晦日御父是善卿ぜぜんきやうも身まかり玉へり。
保胤はこれに譲ったというのでもあるまいが、自分は当時の儒家であり詞雄しゆうであった菅原文時の弟子となって文章生もんじょうせいとなり、姓の文字を改めて、慶滋とした。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
まだ文章生もんじょうせい時代のことですが、私はある賢女の良人おっとになりました。
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)